連絡
目次
目の前の世界が見えているか
1、世界一歴史の長い日本国
2、黒く塗り潰された祖父母の日の丸
3、人間の思想と思考を再現する
4、血で世界を観察する
5、歴史の長さで追い抜くことは出来ない
6、誰が日の丸を燃やし切り刻むのか
7、祖父母の日の丸が再び世界を照らす
目的
心に祖父母の日の丸を付ける
理由
世界一歴史の長い日本国の国旗を付けるため
最終更新:2021-07-20 公開:2021-01-02
ここで扱う内容を理解出来なくても全く問題ありません。
頭のおかしい人が、変な話をしているだけです。
サッカーおでんが日の丸を大切にする理由を語っています。
私(竹串)のおとぎ話を聞いても良いという人だけお付き合いください。
サッカーおでんが見ている世界を覗けると思います。
日の丸の本当の姿が見えるでしょう。
普段なら伝わらないだろうと思い、話す内容を制限していますが、ここは制限無し。
日本人に敬意を払う人が読むと面白いでしょう。
世界を変える不思議な魔法。
独り言のつもりで書くので、頭がおかしい人を相手にするつもりで聞いていただけると助かります。
途中で刺激の強い内容が出てきます。
刺激を避けた方が好ましい人は読むのを避けてください。
刺激が特に強い内容に触れる前に注意書きがあるので、そこで続きを読むか判断してください。
日本国や日本人への接し方でその人物の質が分かる。 日本国に敬意を払わない人間は、たとえ知性が高いとされていても愚かだろう。 たとえ白人世界では成績が良くても、差別主義者の中では比較的まともなだけだ。
日本人は劣っているはずだという前提でしか考えられない程度の賢さしかない。 自らの知性を黒く塗り潰す人間に、日本人の姿や世界の美しさは見えないだろう。
日本人に敬意を払えるかどうかで賢さが決まるだろう。日本人差別を土台とした知性なのか、それとも敬意から生まれる知性なのか。
思想が変わると治安も変わる。
日本人への対応がその人物の知性と本性を現す。 自分より優れている存在を想像出来るかで知性が決まるのだろう。 まだ見ぬ知性に敬意を払えるかで賢さや将来性を判断するのが最も正確かもしれない。 大き過ぎるものを一度に把握するのは難しい。 大き過ぎる存在との出会いを楽しめることこそが人間の知性ではないか。
人間というものは、もう少し賢い生き物ではないのか。ただただ、残念である。
同じ教科書で学んでいるはずが得られる情報量に差が出るとき、人は何を思うのか。
教科書が同じなら得られる情報量は同じであるはず。
書かれている内容も同じなら、得られる知識に差が出るのはおかしい。
教科書を読むと、自分を成長させる方法が書いてある。
周りは自分を成長させる方法を試していない。どうやら、皆にはその文章が見えないようだ。
もし、自分にしか読めない文章があったとき、皆にどう伝えるべきか。
異常者だと馬鹿にされ続けても、皆が読めない情報を伝え続けるべきか。
それとも、皆を見捨てるか。
目の前に広がる世界から情報を得ているつもりでも、特定の情報だけ受け取れない。
世界を正しく見ているつもりでも、見る目がなければ正しい世界は見えない。
見る目とは何が生み出すのか。
相手が受け取る情報を減らすことで成長を妨害出来る。
自分が持っているものや自分が出来ることを増やすためにも、思い込みや勘違いを無くすことから始めよう。
頭の上にメガネを乗せていても、それに気付かなければ全く関係無い場所を探す。
本当に自分は持っていないのか。それを確認することが大事だ。
日本人と、それ以外の人達は違う。
海外の人にとっては正しい情報でも、日本人にとっては間違った情報であることが少なくない。
ときどき、次のような間違った思想を植え付けられるかもしれない。
日本の常識は世界の非常識であり、日本の非常識は世界の常識である。
上の文章は正しいのか。
残念ながら間違いだ。
サッカーおでんが東アジア原産の日本人差別を語っても、何を言っているのか分からない人が多いだろう。
今回は日本人の見る目を取り戻すための情報に触れる。
思考や思想を制限することで相手の能力を潰せる。
才能やセンスがある人でも日本人差別に染まると、目の前に広がる世界を正しく見ることが出来ない。
サッカーおでんがサッカーやその他の情報に触れて疑問に思うことを紹介する。
私が見ている世界と、私以外の日本人が見ている世界が違うように感じる。(全員ではないと思うが、情報を発信する側がわざと嘘しか言わないのか不明。もしかすると、私が日本人だと思っている人は、日本人ではないのかもしれない)
なぜ、目の前に広がる世界を見ようとしないのか。
なぜ、素晴らしい世界を壊そうとするのか。
私には理解出来ない。
自分の能力が足りず遠くや近くが見えないのは仕方が無いが、誰かに見るのを邪魔されているのだとしたら。
誰が日本人の視力を奪うのか。
今回扱う内容は、サッカーおでん(日の丸も含む)の中でも特に理解出来ない内容になると思います。
私にとっては普通でも、日本人差別に染まった日本人にとっては理解が難しいでしょう。
もし、自分が見ている世界が本当の世界とは全く違うものであったとしたら。
どうしますか。
私は日本人が絶対王者だと思っている。
こう考える日本人が多数派になったとき世界が変わる。
サッカーだけでなく、その他のことでも日本人が世界のお手本になる世界が戻ってくる。
このような時代が当たり前のように来ると思う。
日本人にかけられ続ける呪いを解くことが、日本サッカーの正しい意味での成長になる。
また、日本人差別を跳ね返すことが、日本サッカーだけでなくサッカーを救うことにつながる。
サッカーは日本人を求めている。日本人はサッカーを選ぶのか。
サッカーを救えるのは日本人だけだろう。
なぜ、世界を黒く塗り潰して消そうとするのか。
なぜ、日本人の思考や思想を黒く塗り潰すことに必死なのか。
黒く塗り潰された場所には、祖父母の日の丸がある。
祖父母の日の丸と、東アジアで作られた偽りの日の丸は違う。
私は祖父母の日の丸、日本製の日の丸を付けている。
日本国は世界一歴史が長い。
この一文で、全ての呪いが解ける。
日本人に呪いをかける集団は、上の文章を嫌うだろう。世界に浸透させてきた日本人差別を吹き飛ばす情報を全力で潰しに来る。
日の丸は日本人差別を消してしまう。
だからこそ、日本人差別を好む者は日の丸を徹底的に排除する。
世界一歴史の長い日本国の日の丸ではなく、東アジアで作られた偽りの日の丸を日本人に押し付けるのは、日本人差別を消されると困るから。
日本人に呪いをかけ続けるために祖父母の日の丸を隠し、東アジア製の偽りの日の丸を押し付ける。
東アジアの呪いを染み込ませた偽りの日の丸を付けたがる日本人は、日本国籍を取得した工作員等、特殊な場合を除きいないだろう。
東アジアに燃やされ切り刻まれた日の丸を見て、それを身に着けたいと思う日本人はいない。
日本人差別を行う集団は日本人を見下すことに全力だが、日本人を見下すがゆえに日本人差別に染まらない日本人に気付けない。
日本人差別を行う者達は、自分達が見下し馬鹿にしている対象が優れた結果を出すとは考えないからだ。
日本人が優れた結果を出すとは、日本人差別に染まらないという意味だ。
日本人に敬意を払う人間は日本人差別を行わない。
日本人差別を行う集団は日本人への敬意が足りないがゆえに、日本人の優秀さに敗北する。
相手に敬意を払うとは、弱さではなく強さだ。
日本人差別を行うような集団が優れているはずがない。
日本人差別を行おうとする時点で敗北者だろう。
ゾウの鼻は長い。キリンの首は長い。
これを何度も言い続ける人はいない。
なぜならば、一度説明すれば分かるからだ。また、言われなくても理解しているからだ。
では、ゾウの首は長い、キリンの鼻は長いという嘘の情報を広げるにはどうすればいいか。
一度言うだけで嘘が広まるだろうか。
嘘の情報を広げるには何度も言い続ける必要がある。
なぜ、嘘の情報は何度も言い続ける必要があるのか。
答えは簡単だ。確認されると嘘であると気付かれるからだ。嘘の情報が広まるよりも、嘘を言う人間がいるという情報が広まる方が早い。
それでも何度も何十年も嘘を言い続けるとどうなるだろうか。
嘘を広めようとしたときは正しい情報を持つ人が多くても、時間が経つにつれて嘘しか知らない世代になる。
もし、嘘しか知らない世代になったとしたら、ゾウやキリンの姿はどうなるのか。
ゾウやキリンに興味を持つ人は本物のゾウやキリンを見て、それまで教えられてきたことが嘘だと気付くだろう。
ゾウは首が長いのではなく鼻が長い。キリンは鼻が長いのではなく首が長い。
自分で確認して正しい情報を見つける。
動物に興味を持つ人は、ゾウやキリンの本来の姿を知る。
黒く塗り潰された世界ではなく、正しい世界に存在するゾウやキリンに出会う。
どうすればゾウの首やキリンの鼻を長く出来るか。
ゾウの写真にキリンであると書く、キリンの映像を見せて、これがゾウであると言う。
何も知らない人間が初めて嘘に触れたとき、それが嘘であると見抜けるか。
おそらく無理だろう。嘘付きに囲まれていない限り、相手が嘘を教えるという発想すら思い浮かばないはずである。
ゾウやキリンを反対に記憶した人は、そのまま間違った情報を広げる側になる。
嘘の情報を子供達に教えるからだ。
嘘の情報でゾウやキリンの正しい姿を乗っ取った後、嘘を付く集団は何をするだろうか。
ゾウは首が長くキリンは鼻が長いという嘘を広めた側は、本物のゾウやキリンを見ることを禁止する。
なぜ、ゾウやキリンを見ることを禁止するのか。
答えは簡単だ。
本物を見られると今まで積み上げてきた嘘が一瞬で崩れ去るからだ。
嘘を教えた側は動物に興味を持つ人間を差別主義者だと攻撃するだろう。
また、動物園を閉鎖しろと主張するかもしれない。
動物に興味を持つことは黒く塗り潰された世界を正しく見ようとすること。
動物園とは、黒く塗り潰されていない世界が見える場所。
嘘の情報を守ろうとする側は、正しい情報を知ろうとする人間を徹底的に排除する。
ゾウやキリンに興味を持つ人が少ないときは、動物好きを異常者扱いするだろう。
学校や職場等で仲間はずれにするように誘導するかもしれない。
正しい世界を見せる動物園を子供達から遠ざけようとするはずだ。
動物園でゾウやキリンを見た人が出てきたとき、その人の発言を無視するように言うだろう。
あの人は頭がおかしいから、あの人は病気だから、あの人は信頼出来ない人だからと、周りに正しい情報が広まらないようにする。
嘘を守るために正しい人を異常者にする。
動物園でゾウやキリンを見た人が増えたら、嘘を広める側は攻撃方法を変えるだろう。
動物園が流す偏った情報を信じたらいけない、動物園にある情報は信頼出来ないものだから信じる者は馬鹿であると言うだろう。
なぜ、ゾウやキリンを見たら攻撃されるのか。
答えは簡単だ。
嘘の情報を広め、動物の名前を言う大会で日本人を一回戦負けにするためだ。
嘘を広める側は、日本人に恥をかかせ嘘の情報で服従させることに強い興奮を覚えるからだ。
他者の人生を壊すことでしか幸福を味わえない生き物が存在する。
日本人が命を落とすことや日本人同士で争い傷付け合うことを望む側は、嘘を消されることを恐れる。
たとえ動物を学ぶ授業があったとしても、嘘を守るためにゾウやキリンは詳しく教えないだろう。
ゾウやキリンを教わる前に卒業式が来るはずだ。
日本人を攻撃する材料として使われるゾウやキリンを学ばせないのは、正しい姿を知られると日本人差別が出来ないからだ。
加害者扱いされていた日本人側が本当は被害者だったと気付いてしまう。
そうなると、日本人差別を広げるのが難しい。
だから、日本人には日の丸のことを教えない。
授業で扱わないことで本当は被害者である日本人を加害者として攻撃出来る。
被害者という立場を乗っ取ることで日本人差別を継続しようとする。
ゾウは鼻が長くキリンは首が長いことに気付いた人が、嘘を広めている人に質問をした。
なぜ、嘘を広めようとするのか。正しい情報を伝えるべきではないか。
この質問をした日本人を、日本人差別をする側は暴力で排除しようとする。
日本人差別をする側が暴力事件で逮捕されたとする。
その後、嘘を広める側はどのように行動するか。
嘘に気付いた被害者である日本人と、嘘を広めていた加害者側。
日本人差別を行う集団は不当逮捕だと警察を攻撃する。
報道関係者も一緒になって不当な扱いは止めろと主張する。
攻撃されるのは警察だけではない。
嘘を指摘した被害者である日本人も攻撃される。
日本人が嘘を指摘することは悪いことなのか。
日本人が日本人差別に反対することは罪なのか。
日本人が日本人の尊厳を守ろうとすることは差別的なのか。
そうではない。
日本人が正しい世界を見ようとすること、日本人が日本人差別に反対すること、日本人が日本人の尊厳を守ろうとすることは正しい。
日本人が正しい世界を見ようとすることは、次の世代に自分が得た情報を伝えることにつながる。
日本人が日本人差別に反対することは、子供達の人権を守ることにつながる。
日本人が日本人の尊厳を守ろうとすることは、日本人の先祖を守ることにつながる。
日本人差別を行う集団は、日本人が日本人であることに自信を持つことを恐れる。
なぜ、日本人差別を行う集団は、日本人であることに自信を持たれると困るのか。
答えは簡単だ。
日本人の命を奪うのが難しくなるからだ。価値のあるものは守りがかたくなる。
悪い存在を罰するという理由で日本人の子供達を攻撃してきた集団は、日本人が本当は加害者ではないことを知られたら困る。
実は日本人が被害者だったと知られてしまうと、日本人差別をしてきた集団が解体させられる。
日本人から見れば殺人犯が逮捕され正常な環境になるが、日本人差別を行う集団から見ると日本人差別が自由に出来ない「生きにくい世界」「息苦しい世界」になってしまう。(犯罪を取り締まる世の中になると犯人は逮捕されないように息をひそめないといけないから)
日本人の命を自由に奪える世界を守ろうとする集団と、日本人の命を守れという日の丸との戦い。
日本人の命を守れと主張すると差別主義者だと言われてしまう。
日本人の命を守ることが、なぜ差別主義者なのか。
日本人が生きていることで、誰が苦しむのか。
日本人の不幸を望む人間は、日本人が生きていることで苦しむ。
日本人が人間として扱われる姿を見ると、日本人差別を好む集団は心がかき乱されるだろう。
一般的な日本人の価値観では、人間が人間として生きることは自然な姿である。
しかし、日本人差別を好む集団は日本人が人間として生きることが許せない。
幸せそうな日本人を見たときに、激しい怒りを持つ集団がいる。
それが日本人差別を世界に広め続ける集団。
この集団には東アジア人だけでなく、欧米等他の地域の人間も存在する。
日本人を敵視する集団とは誰なのか。
なぜ、日本人差別を広めようとする集団が存在するのか。
それは、日本人を知ると分かる。
我が国日本は、世界一歴史の長い国である。
日本国は日本人が生み出し受け継いできたもの。
日本は世界一歴史が長い国である。
このことを許せない集団がいる。
日本人が優れている世界を憎む集団。
その集団こそが、愛や平和、人権を大事にしろと主張する団体。
愛や平和を語ることや人権を守れと主張することが、なぜ日本人差別につながるのか。
その理由は、祖父母の日の丸が教えてくれる。
黒く塗り潰された祖父母の日の丸。
優れている者と、そうでない者を考える。
優れているとは優秀であること。
そうでないとは能力が低いということ。
優秀さを決めるものは何なのか。
これを複数の方法で考えると面白い。
優秀さが様々なことで変化する場合、現在の能力差が今後も続くとは限らない。
今は相手より優れていたとしても、数年後は相手の方が上になるかもしれない。
優秀さが変わるなら、常に相手に勝つことは難しい。
相手に勝つには、相手に負けないように努力する必要がある。
優秀さが変わる場合、油断していると相手に負ける。
では、優秀さが変わらない場合はどうだろうか。
優秀さが変わらない場合、優秀な人間はいつまでも優秀である。
優秀ではない人間が優れた結果を残すことは無い。
なぜならば、優秀さとは生まれ持つものだと考えるからだ。
優秀さが変わらないと考える場合、相手より優れているなら何年経っても相手に勝てると思うだろう。
優劣が生まれ持ったもので決まると考えるなら、努力するという発想は出てこない。
なぜならば、生まれた時点で結果が固定されると考えるからだ。
優秀さが生まれた時点で決まると考える人は、相手に敬意を払うことは無いだろう。
自分の方が常に優れていると信じる者は相手を見下す。
相手に敬意を払うことはない。
見下している相手と勝負するとき、自分達が余裕で勝てると考えるため真面目に準備しないだろう。
対戦相手を見下す人間は油断して負ける。
優秀さが変わらないと信じる人間は、対戦相手に敬意を払わず恥をかくだろう。
日本人が考える優秀さとは、変わるものだと思う。
優秀さが生まれた時点で決まるとしたら、日本人は努力をすることは無いだろう。
なぜなら、優秀かどうかは優秀さを生み出す何かを持っているかで決まるからだ。
先祖の話を聞くと、日本人は昔から勉強好きのようだ。
勉強好きとは知識を増やすことに興味を持つということ。
知識だけではなく技術を増やすことも好むだろう。
知識と技術を増やすとは想像力が豊かであるという意味でもある。
サッカーで考えるなら、上手くなる方法を求めるだろうか。(新し技を考えるというのもある)
今の自分よりも、もっと上手くなるために何かを試す。
優秀さが生まれ持ったものだけで決まると考えるなら、日本人選手は努力をしないはずだ。
日本人選手は上を目指すために上手くなる方法を模索している。
これは、日本人は優秀さは変わるものだと考えている証拠ではないか。
日本人の邪魔をする勢力もいるかもしれないが、日本人の共通の認識として上手くなりたいなら練習することをすすめるはずだ。
これはサッカー以外でも同じだ。
学校の授業が分からないとき、何をしたら良いと考えるか。
おそらく、勉強したら良いと考えるだろう。
試験結果が悪かった場合も同じだ。
勉強することで点数を伸ばす。
サッカーやその他のスポーツ、学校の勉強も含めて観察すると、日本人は優秀さは変わるものだと考えていると言えるかもしれない。
優秀であるために何をするか。
日本人の答えは、自分を鍛えるだろう。(鍛えるとは、練習や努力、遊びながら成長する等)
優秀さが生まれた時点で決まると信じる集団は何を考えるのか。
この集団の行動を想像するために、優秀さを決める何かを考える。
優秀さが生まれた時点で決まるとしたら、優秀さを決める何かとは何なのか。
生まれた時点で決まるもので、変えることが出来ないものとは。
身長や体重は変化するから違うだろう。
では、性別はどうだろうか。
たしかに性別は生まれたときに決まるが、それだけでは範囲が広すぎる。
人間は男性か女性として生まれることを考えると、性別で優秀さが決まると判断するのは競争相手が多すぎてだめだろう。
性別では同じ条件の人が多い。
もう少し別の何かが存在しないか。
1つ心当たりがある。
それは遺伝子だ。
遺伝子だと文字数が多いため、血としよう。
優秀さが生まれた時点で決まると信じる集団は、血で人を判断するとする。
これが模範解答。
ここまでたどり着けば、黒く塗り潰された先が見えるだろう。
次は、血を観察対象として世界を見てみる。
実は、すでに答えは出ている。
上の方で優秀さが生まれた時点で決まると信じる集団に触れた。
この集団を正確に観察するために血を使う。
血を中心に世界を見ることで、黒く塗り潰された先が見えるだろう。
少々話が飛ぶが、分からない場合は気にしない。
分からなくても問題無い。
変な人が、変なことを言っているだけ。
ただ、一つでも分かればサッカー選手としてだけでなく日本人としての質も一気に上がるだろう。(正確に言うならば正常な状態に戻るだろうか)
例えば、経験値を増やすことで能力が上がるとする。
取得出来る経験値が急激に増えるとしたら。
他で経験値を増やすよりも短時間で成長出来る。
今回の話をゲームで考えるなら、経験値稼ぎに最適な場所と言えばいいだろうか。
大学からサッカーを始めてもお釣りが来ると思う。(ただし、青春を楽しめるとは言っていない)
私(竹串)が大学からサッカーを始めたときにした考え方と同じことを扱う。
使うかどうかは別として、使い方を覚えたら他のことでも使用出来るはず。
私(竹串)の脳みそと似たようなものが手に入る。
脳みそだと気持ち悪いが、思考や思想と考えると気持ち悪さが抑えられるだろうか。
ここで触れることに美学を加えたら、ほぼ私(竹串)。(更に性格の悪さを加えると完璧)
ここはサッカーおでんなのですが、作るときに結構悩みました。
このサイトの一番上を見ると分かりますが、サッカーおでん、いつも心に日の丸をと書いてあります。
この「いつも心に日の丸を」という部分、実は別の文章になる予定でした。
上で出てきた脳みそ。これを入れようかと思ったのですが採用せず。
最初の予定では下のようになるつもりでした。
サッカーおでん、俺の脳みそくれてやる
「俺の脳みそ」とするか「私の脳みそ」とするか悩んだ。
「俺の脳みそ」だと刺激が強いから「私の脳みそ」にしようと考える。
「俺」だと女性陣(女子選手や母親等)が入りにくいと思い「私」に変更。
冷静に考えると「脳みそ」と入っていたら男性陣も入りにくいですよね。
知らない人が見たら気持ち悪いな……と思い今の形に。
サッカーおでん、いつも心に日の丸を
爽やかさが増えました。
どうでもいい話ですね。
話の続きをしましょう。
優秀さが生まれた時点で決まるなら、努力するという発想は生まれないだろう。
血で結果が決まると考えるなら、相手を見るのではなく相手の血を見るようになる。
血は一度確認するだけで十分だ。変化することは無い。
ここで言う血とは、人種や国籍のことである。
国籍は判断が難しいが人種なら判断がしやすい。
さて、準備は済んだ。
黒く塗り潰された世界の先を見よう。
優秀さを血で判断する集団がある。
この集団を観察する前に、どのように順位を付けるかを確認する。
順位の付け方は非常に簡単。
優秀さを血で判断する集団を東アジア系と、その他に分ける。
まずは、東アジア系の順位の付け方から。
東アジア系の順位の付け方は非常に単純。
血で決まる。
もう少し丁寧に説明するなら、東アジア系が優れていると考える場所に近いほど優秀となる。
東アジア系が勝手に考える中心を、東アジアの中心とする。
東アジア系は、東アジアの中心が1番で、中心に近い場所が2番。中心から離れるほど劣っていると考える。
東アジア系の思想は土地でも判断するようだ。
東アジア系の思想では、陸に近いほど偉いと考える。
これを土地に当てはめると、陸が1番で、陸につながる半島が2番、陸から離れている列島が3番になる。
これだけで東アジア(3チーム)の反応が分かる。
また、日本人差別を止めない理由も深く理解出来る。
日本国や日本人が攻撃対象であることが想像出来るだろう。
東アジアは3チームある。
この3チームを東アジア系の思想で順位を付けるとしたら、中心に近い場所が偉いとなるだろう。
東アジアは、日本人と価値観を共有していない。
東アジアの思想では、日本人が優れていることなどあってはならない。
東アジア系は、日本人であるがゆえに、優れているはずがないと考える。
日本人の血を下に見ることから、日本人差別が止まることはない。
東アジア系が日本人と結婚したとしても日本人の血を攻撃するだろう。
配偶者として扱うのではなく、家庭内にいる攻撃対象になるだろう。
また、子供が日本人(親)を攻撃しても不思議ではない。
その理由は、日本人の親(日本人だけの血)よりも、子供(日本と東アジアの血)の方が東アジアの血が多いからだ。
配偶者側の家族は日本人を助けないだろう。
ここでは触れないが、東アジア人がする他者との接し方を知ると、より正確な予測が出来る。
ことわざは、そこに住む人間の思想を色濃く反映する。(東アジアは3チーム。一箇所だけではない)
架空のゲームを作ったとする。
攻撃的な村人と穏やかな村人を用意する。
攻撃的な村人の血は、攻撃的な村人の血が薄い者から攻撃するというルールにする。(穏やかな村人の血を攻撃する)
穏やかな村人は、周りの村人を助けるとする。
このルールで架空のゲームを進めていくと、ゲーム内の村人はどのようになるか。
いつ攻撃的な村人の攻撃が止まるのか。
答えは2種類しかない。
1、攻撃的な村人が攻撃対象を全て滅ぼした場合。
2、攻撃的な村人が全て滅んだ場合。
上の結果を正確に表現すると下のようになる。
11、穏やかな村人の血が滅んだ場合。
22、攻撃的な村人の血が滅んだ場合。
血を理由に日本人差別を行う集団が日本人差別を止める場合は下の2種類。
111、日本人の血が完全に滅ぼされる。
222、日本人差別を行う集団が完全に滅ぶ。
日本人差別を行う者は、日本人の血を消そうとする。
サッカーが特に分かりやすい。
日本人の血が入っていない選手を日本代表にしろと言うはずだ。
これは日本代表から日本人の血を消せという意味になる。
非常に直接的な日本人差別である。
日本人差別を行う集団は、日本人の血を褒めることはしない。
これは日本人の血ではない方の血を褒めるという意味だ。
報道内容に触れるといい。
日本人差別を行う集団は、日本人と海外の人との子供だと必ず海外の血を褒めるはずだ。
日本人の血を褒めることは無い。
その理由は、上に書いた東アジア系の思想だからだ。
日本人差別を行う集団が褒める相手とは、日本人の血が入っていない者か日本人の血が少ない者(東アジアの血が入っている等)だけ。(東アジア系の思想かで判断する場合もある、思想の血や遺伝子と考えるといい)
日本人を攻撃する方法には2種類ある。
1つは、直接日本人を攻撃する方法。
もう1つは、海外の血だけ褒め日本人を絶対に褒めない方法。
指導者(政治家も含む)や報道関係者等が日本人を褒めない理由、褒めるときは日本人以外の血を褒める理由が分かるだろう。
直接侮辱することだけが日本人差別ではない。
遠回しに侮辱することも立派な日本人差別である。
東アジアは3チームある。
同じような思想ではあるが、思想の呼び方は異なる。
呼び方の違いに興味を持つのもいいかもしれない。
所属チームで思想が少し変わるようだ。(おおまかな内容は同じ)
学校の先生達が東アジアの思想を研究するチームに所属していることがある。(今も公開されているか分からないが昔は都道府県名と学校名が公開されていたはず。名前も公開していたか不明)
東アジアの研究チームに所属するとは、所属チーム(東アジア)を頂点とした支配体制を作るという意味。
日本国や日本人を東アジアに服従させるという意味。
教科書の言葉を使うと日本を植民地に作り変えるために働くという意味になる。
東アジア系の反応から国籍や血を探るゲームがあったとする。
東アジア系の思想を利用することで相手の国籍や血が判断出来る。
相手を見下す人間は、自分の人権にしか興味がない。
このことを理解すると人間観察、特に教師や政治家等の観察が面白くなるだろう。
相手の国籍や血を判断するにはどうすればいいか。
東アジア系の思想では順位が決まっている。その順位を逆にするといい。
そして、日本をお手本にすべきだと言えば相手の情報が出てくる。
東アジア系は日本人を下扱いする。
これが1つめの判断材料。
2つめの判断材料は、東アジア同士で見下していること。
例えば相手が東アジア系の思想で1番の場合。
自分が他の東アジア系(特に3番目)より下扱いされることに不満を言う。(1番が3番より下扱いはおかしい等)
このような反応をしたら、東アジア系の思想では1番扱いされている場所。
東アジアでは2番や3番扱いされている場所よりも下として扱われることに不満を言うだろう。
今度は相手が東アジア系の思想で2番の場合。
自分が東アジア系の順位で3番の場所よりも下に扱われることに不満を言う。(2番が3番より下扱いはおかしい等)
このような反応があれば東アジア系の思想で2番扱いされている場所である。
東アジアでは最下位である3番目より下であることに不満を漏らすだろう。
最後は相手が東アジア系の思想で3番の場合。
日本人よりも下扱いされることに不満を漏らす。(1番や2番より上扱いされることに文句は言わない)
このような反応なら東アジア系の思想で3番の場所。
日本人よりも下であることに不満を漏らす。
上で触れた全ての場合に共通するのが、東アジア系の思想では上とされる存在への感情。
普段は下に扱われることが多いからか、東アジア系の順位を逆にすると意外と喜ぶようだ。
ただし、喜び方は控えめ。(控えめではあるが隠しきれない本音)
東アジア系の本音が分かる瞬間。(表向きは上に服従しているような態度だが本音は見下したいようだ)
今回紹介した判断方法は行わないこと。
日本人の命を奪っている集団もいるため絶対にしない。
東アジア系は日本人差別をすることに集中するため、わざわざ質問しなくても向こうから勝手に答えを言う。
相手から引き出したい内容を決めてから話を聞くと、退屈な時間も面白く過ごせるかもしれない。
まあ、退屈な話は、どう工夫しても退屈だが。
優劣を血で決める場合、他人との付き合い方に特徴が出る。
優秀さが生まれ持つもので決まると考える集団は、どちらが優れているかを常に意識する。
自分と相手、どちらが優れているのか。
優劣を決めないと不安で仕方がないだろう。
一度優劣が決まると、下として認定した相手を徹底的に攻撃するかもしれない。
優れている自分達が劣っているお前らを指導してやるから感謝しろという気持ちが全面に出るはず。(たとえ上手に隠したとしても日本人が不快に思う瞬間があるはず。いわゆる、上から目線)
日本人差別をする東アジア系に出会ったとき、東アジアの思想を知らない日本人から見ると自信があるように思えるかもしれない。
東アジアの思想を知らない人間からすれば凄そうに見えるが、実際には全く凄くないことが珍しくない。
それはなぜなのか。
答えは簡単。
日本人を血で否定しているだけだから。
日本人差別を行う集団は、日本人であることを理由に否定する。
相手の発言が正しいかに興味は無い。
相手が日本人だから間違っているはずだという日本人差別をぶつけて来るはず。
たとえ殺人犯として逮捕されたとしても、自分達が常に正しく日本人が間違っていると言うだろう。
日本人の命を奪った殺人犯を英雄だと称えるかもしれない。
日本人の命を奪った殺人犯が東アジア系なら、犯人を守ろうとする報道関係者。
報道関係者が東アジア系の犯罪を擁護するのは、報道関係者も日本人差別を行う集団の一つだから。
東アジア系が教師として日本人と出会うとどうなるか。
おそらく、日本人を潰す。
遠回しな言い方をするが日本語訳すると、日本人を痛めつけ壊すことが教育であるという意味になるだろう。
日本人の生命や選手生命を奪ったとしても、自分が正しいと主張する。
なぜ、東アジア系は日本人を壊すことが正しいと主張するのか。
答えは簡単。
日本人差別を行う集団にとって、日本人は処罰の対象だから。
日本人差別を行う集団は、日本人を褒めることはしない。
なぜ、日本人差別をするのか。
日本人の生命や選手生命を奪うことが正しいと信じるから。
こんなにも悪い人間だから命を奪う行為は正しいことであると、東アジア系が言っている。(東アジア系以外の団体も同じことを主張している)
命を奪うための準備として、相手がいかに悪い人間であるかを広めようとする。
他者を否定することで自分の優秀さを証明しようとする思想。(日本人とは価値観を共有していない証拠)
日本人差別を行う集団が日本人を褒めない理由が分かる。
日本人が加害者扱いされるように世界中に嘘を広げる理由。(加害者扱いされるようにとは処刑されるようにという意味)
こんなにも悪い集団だから滅ぼすことが正しいという東アジアの伝統。(支配者が変わるときに使われる方法)
優劣を血で決めるとは、相手の命を奪っても気にしないという思想。
日本人差別をするとは、日本人の人権を認めないということ。
日本人の人権を踏みにじるような人間が日本人に敬意を払うか。
日本人差別を行うような集団が、日本人が考える正しい教育をすると思うか。
日本人差別を行うような集団が、日本人の幸せに貢献するとは思わない。
お付き合いをするとしたら日本人と価値観を共有する人達を選んだ方がいい。
欧米等の順位の付け方も簡単。
東アジア系と同じ。
血で決まる。
日本人差別を行う欧米等の集団とは、主に白人の集団のこと。(他の人種の場合もある)
人種等に興味がないため細かい情報は追いかけていないが、おそらく私の予想が正しいはず。
東アジア系と思想は同じ。
東アジア系では優れている中心があり、それから離れるほど下になるという考え。
欧米等の順位の付け方は土地というよりも血の話。
特定の血から離れるほど下と考える思想だろう。
同じ白人の血でも順位が変わると聞いたことがあるが、細かい部分は気にせず進む。
白人同士の順位ではなく、日本人と白人との関係を祖父母の記憶から探る。
日本人差別を行う欧米等の集団は、白人の血を上に考えるようだ。
日本人差別を行う欧米等の集団が、日本人にどのような態度で接するか。
これは簡単な昔話を使えばいい。
白人の価値観では白人の血を上に考えるようだ。(自分が一番だと考えるまでは健全だが、それを理由に他者の命を奪おうとするのは異常だ)
人種には黄色人種や黒人がある。白人も人種の1つと考える。
ここでは簡単に考える。人間の分け方など、どうでも良いからだ。
人間の分け方は日本人と、日本人以外で大丈夫だ。
例えば、怪我をしている人がいたとする。
腕の骨が折れている。
その人が病院から出てきた。
骨折した腕は、白く硬そうな物で包まれている。
骨折した腕を包み込む白い物体はギプスと呼ばれるようだ。
ギプスをした人が病院から出てきた。
病院では何が行われたのか。
一般的な日本人なら病院で治療をしたと考えるだろう。
しかし、日本人差別を行う欧米等の集団は違う答えを導き出す。
日本人差別を行う欧米等の集団は、白人ではない日本人が治療という行為を出来るはずがないと主張し、腕を食べたと信じて疑わない。
このような発言を聞いて喜ぶ日本人はいないだろう。
治療という行為は白人しか出来ないと考えるのは非常に愚かである。
もし、このような発言をする白人がいたら、どのように感じるか。
私が昔話として聞いたこと。
たしか海外から白人が来たはず。
この白人は知識を持つ立場として日本国に来たはずだ。
原文を確認していないため正確な内容が分からないが、大体の流れは覚えている。
どこかで日本人の骨が出てきた。
日本人の骨を見る機会は少ないが、学問として見ることはあるだろう。
別の日本人も、白人が見た日本人の骨を見ているだろう。
私が聞いた昔話では骨の年代に触れていないため、いつの骨かは分からない。
ただ、昔住んでいた日本人の骨であるはず。
日本人の骨を見て、日本人は白人ではないから治療は出来ないため、これは日本人が人を食べていた証拠であると主張したはず。
白人の基本的な思想では白人だけが優れているのだろうか。
もし、白人の骨ならば治療した証拠で、日本人の骨ならば人を食べていた証拠だと主張する。(人を食べるという発想を思い付けることは後で重要な判断材料になる)
この白人の発言は当時生きている日本人だけでなく、日本人の先祖をも侮辱する内容だ。
お前は白人ではないからお前らの先祖は野蛮人だと言われたら腹が立つだろう。
日本人を侮辱する人間は、日本国から叩き出されるだろう。
治療という行為は白人しか出来ないことなのか。
自分達だけが優れていると信じて疑わない集団が、正しい答えを見つけ出せるとは思わない。
日本人差別を行った白人の名前を記録していないため探すのが難しい。
インターネット上で簡単に探したとき、それらしき人物を見つけた。(私が聞いた話と同じ人物かは分からないが、おそらく同じはず)
その人物の説明文を読んで驚く。(内容が非常に薄められているため知らない人は気付けないはず)
日本人差別をしたであろう加害者の白人が、説明文では被害者になっていた。
日本人を侮辱した加害者であろう白人が、過激な集団に脅されたことになっていた。
人種差別をされた日本人が説明文では加害者になっている。
このようなことが見つかることが少なくない。
誰が説明文を書いているのか。
報道等でも同じだ。本来では加害者である白人や東アジア系が説明文では被害者に変えられていることが多い。
それとは逆に、本当は被害者である日本人が加害者扱いされている。
これは、どのような現象なのか。
私は東アジアだけでなく白人も似たような思想を持っているのではないかと考えている。
日本人と日本人以外は違う。
それは日の丸を見ることで分かる。
他者を侮辱し野蛮人だと罵ることは相手を怒らせる。
地球上で唯一治療が出来るらしい知性が優れているはずの白人が、日本から叩き出されることを想像出来ないとは思えない。
なぜ、日本人差別をした白人は、日本人から叩き出されることを想像出来なかったのか。
可能性は2つある。
1つは、特定の思想の中では優れているらしい白人の知性では想像出来ないぐらい日本人の感情が高ぶった場合。
もう1つは、白人は自分達が考えるほど優れていない、はっきり言うと下である場合。
頭が良い、賢い、知性がある人間は、相手が怒るという可能性を見落とさないのではないか。
優れているはずの集団は、なぜ劣っているとされる人間に叩き出されるのか。
自分達だけが優れていると思い込んでいるだけではないか。
他者を見ようともせず差別的な目で日本人を見たら、日本人の本当の姿を認識出来ないだろう。
自分達以外は劣っているはずだという黒く塗り潰された思想や思考では、日本人の姿を認識することは不可能だろう。
東アジアと白人等に共通する部分とは、自分達は優れているが周りは劣っていると考えること。
東アジアと白人の考えやルールは同類ではないか。
私が人間を分けるときに日本人と、それ以外にするのは、東アジア系や白人等と同じにされたくないからだ。
肌の色が違うだけで日本人にしていることは同じではないか。
日本人を食い物にする東アジアと白人等。
発想や思考回路が同じではないかと最近よく思う。
本当に優れているならば、その優秀な知性を用いて周りを助けそうなものだが。
人を食い物にすることに全力であるように思える。
おそらく、白人が考える賢いという言葉は日本人とは意味が違うのだろう。
もしかすると、東アジア系が考える賢いという意味と同じなのかもしれない。
東アジア系は、自分達は優れているが周りは劣っているという思想。
白人も、自分達は優れているが周りは劣っているという思想。
自分達だけが優れているという考えは、選ばれた民であるという思想につながり、他者を服従させるという考えに自然となるだろう。
日本人を服従させたい東アジア系と白人等。
宣教師が奴隷を扱っていたはず。(形を変えているだけで今も同じだろうが)
宣教師とは宗教を伝えるとされているが、実際は侵略者だろう。
宗教とは愛や平和を広めるものだと考えがちだが、有色人種を人間扱いしなかったと聞く。
また、異教徒(白人が信じる神を信じていない者)も人間扱いしていないと聞く。
日本人差別を行う白人は自分達だけが優れていると主張しているようだが、優れているのは知性ではなく他者への攻撃性ではないか。
日本人差別を行う欧米等の集団が持つ基本思想が、目の前の世界を黒く塗り潰すのだろう。
自分と他者を比べるとき、どのような結果が得られるか。
成績で考えると分かりやすいだろうか。
自分が上、相手と同じ、相手が上。
この結果から、何かを見るときは最低でも3つの可能性を考えないといけないことが分かる。
例えば日本人と白人を比べる場合、上、同じ、下という可能性が出てくる。
日本人差別を行う欧米等の集団は日本人を下と決め付けることから、3つの可能性のうち1つしか確認していないことになる。
3回しなければいけない確認作業を1回しかしないのは愚かだとしか言えない。
なぜ賢いと思えたのかが分からない。
白人の世界では、この程度の頭でも学問等で指導出来る立場になれるということだろうか。
それとも、向こう側の学問とは日本人差別等、選民思想を強化するために行われるものなのだろうか。
もしそうならば、それらに価値があるとは思えない。
海外の情報で使えるものがあれば使えば良いと思う。
選民思想を前提とする学問は学問と言えるのだろうか。
結構微妙ではないか。
日本人差別を正当化しようとする屁理屈は学問とは言えないだろう。
優れているはずの集団が暮らす国は、どの程度歴史があるのか。
世界一歴史の長い日本国。
このことが日本人差別を行う欧米等の集団が優れていないことを証明しているのではないか。
他者の気持ちを想像出来るなら、相手を大切に思えるなら、お互いに助け合って国の歴史が長くなるのではないか。
なぜ、優れているはずの集団が劣っているとされる人間よりも歴史で劣るのか。
日本国が世界一歴史が長いとは、日本人が一番優れていると言ってもいいのではないか。
他者を侮辱し人権を奪うようなことを繰り返すと、相手側に報復されるかもしれないと考えられないのか。
国の歴史が短いとは、相手に敬意を払うことの意味を理解出来る人が少ないという意味ではないか。
他者を攻撃する者は、別の誰かによって滅ぼされる。
これは国でも同じだ。
日本ではなく、海外が常に優れている前提で全ての話が進められていることに強い違和感を覚える。
相手国との能力を比較したとき、少なくとも3つの可能性を探らないといけないはずだ。
なぜ、日本人が優れている可能性を考えないのか。
なぜ、相手側が劣っている可能性に触れないのか。
日本人差別を広めることは学問では無い。学問ですらない日本人差別集団に日本国民の金を使う必要は無い。
もし、日本人の人権を侵害することが学問だと言うのならば、世界から学問を消した方がいい。
原始的な生活に戻った方がいいだろう。
白人は、白人が決めた白人だけが評価されるルールで上にいるだけではないか。
昔話だけではなくスポーツのルール改変等にも触れると、身内同士で勝手に褒め称えているだけではないかと感じる。
教科書に出てくる白人と祖父母の話に出てくる白人は別物に思える。
書かなくても伝わるとは思うが、念の為書いておこう。
白人の中にも日本人の人権を大事にすべきだと考える人間がいても不思議ではない。
ただ、私が触れてきた話では日本人を白人と対等に扱う人間は非常に少ないと感じる。(ゼロではないと思うが分からない)
白人の中に対等という考えが存在するのか確認した方が早いかもしれない。
東アジア系の話を聞くと対等という考えが存在しないと思える。
もし、白人の思想が東アジア系と似たようなものであるならば、白人の中にも対等という考えは無いのかもしれない。
少しだけ希望が持てる世界があるとしたら、それはサッカーだろう。
日本人サッカー選手なら、対等という知性を世界に教えることが出来るかもしれない。
何かを始めるとき、それで結果を出せるまでの時間を比較されることがある。
世の中には、先に始めている人には勝てないと主張する者もいる。
これは正しいのか。
これを考えるために別の問題を使う。
先に始めた方が勝ち続けると言うには、どのような条件が必要か。
後から始めた者が先に始めた人に追い付けない条件とは何か。
これを理解するには小学校で習う算数を使うといいだろう。
自転車で学校に通う子供が玄関にランドセルを忘れた。
子供は忘れ物に気付かず自転車で学校に向かう。
玄関に忘れられているランドセルを見た別の子供が歩いて追いかける。
歩いて登校する子供は、学校に到着する前にランドセルを届けることが出来るか。(ただし、歩く速さよりも自転車の方が速いものとする)
答えは出来ない。
条件を確認する。
先に動いた自転車の子供と、後から動いた歩く子供。
余計な情報を削ると、次のようになる。
先が速く、後が遅い場合は追い付けない。
この問題から確認しなくても良い答えが1つ見つかった。
では、先と後が同じ速さの場合はどうか。
同じように考える。
動く速さを同じにしたい。そのために顔を使う。
細かいことは考えない。
学校に通う子供にお面を付けてもらう。
どのようなお面でも良い。
お面は顔の方に付ける。(目や鼻、口がある方)
お面を付けた子供が学校に通う。
ここで問題。
お面を付けた子供の後頭部(頭の後ろの部分)は、学校に着くまでにお面に追い付けるか。(ただし、お面は外れないものとする)
答えは追い付けない。
条件を確認する。
少しだけ先に動くお面(細かいことは気にしない)と、後から動く後頭部。
余計な情報を削る。
先と後の速さが同じであるときは追い付けない。
この問題から気にしなくても良い答えが1つ見つかる。
次で最後。
後から動く者の方が速い場合。
午前8時までに学校に着かないといけない場合。
私(竹串)は午前6時に目覚ましをかける。
友人は朝の7時30分に目覚まし時計が鳴るようにする。
朝6時。私の目覚ましが鳴る。
私は目覚ましを叩き壊し二度寝をする。
朝7時。両方とも眠っている。
朝の7時30分。
友人が目覚め、出かける準備を始める。
午前8時。
友人は学校で授業を受ける準備をする。
午前9時過ぎ。
友人は授業を受ける。
私は夢の中でお菓子を食べる。
後から動いた友人が、先に動いた私よりも早く学校に到着している。
この条件なら後から動いても先に動いた人を追い抜けることが分かる。
先に始めた方が勝ち続けるためには、下にある条件のうち、どちらか1つを満たさないといけない。
1、先に始めた方が速く、後から始めた方が遅い場合。
2、先に始めた方と後から始めた人の速さが同じ場合。
上で触れた先に始めている人には勝てないという主張。
この主張は、後から始める方が速いときは成り立たない。
つまり、気にする必要は無いということだ。
日本のサッカーが世界一になるにはどうすればいいか考える人がいたとする。
これに対して無理であると主張する人間がいたとする。
日本が追い抜けないと主張する人間の思想は、日本人が優れていないというものである。
目覚ましの問題で確認したが後から動く方が速い場合、先に動いた方を追い抜けることが分かっている。
日本サッカーが追い付けないと主張するのは、日本サッカーの進む速さがW杯優勝経験国の速さと同じか、それより遅いと考えているからだろう。
何かを比較するとき3つの可能性を考える必要がある。
自分が上、相手と同じ、相手が上。
日本サッカーを否定する人間は、日本人が優れている場合を排除している。
日本人が優れている場合を考えないとは、日本人差別を行う東アジア系や白人等と同じ思想である。
日本人に敬意を払う気持ちが全く無いのだろう。
サッカーの情報に触れるときに不思議に思うのが毎回同じ内容であること。
必ず日本人が劣っている前提で全ての話が進められること。
なぜ、日本人が優れている可能性を全く考えないのか。
答えを言うのもあれだが、治療は白人にしか出来ないと信じる集団と似たようなもの。
サッカーを日本人差別をする道具にするのは止めて欲しいが、止めろと言われても止めないだろう。
ならば、別の方法を試すとしよう。
日本国は世界一歴史が長い。
このことから、日本人差別を崩して行こうと思う。
いつまで日本人差別を正当化するつもりか。
いつまで日本人を騙せるか。
もう無理だろう。
黒く塗り潰されたように見える祖父母の日の丸。
日の丸を黒く塗り潰すことは不可能だ。
なぜならば、日の丸とは日本人の心に宿るものだから。
日本人差別を行う集団が、日の丸を燃やし切り刻もうとする理由が分かる。
日の丸とは、日本人差別との戦いの歴史である。
日本国は世界一歴史が長い国である。
我が国日本の歴史を他国が追い抜くことは出来るのか。
答えは、出来ない。
なぜならば、先に始まった国を後から生まれた国が追い抜くことは不可能だから。
おや、どこかで聞いたような内容だ。
まあ、気にせず進もう。
先に始めた者を後から始めた者が追い抜ける条件を確認した。
その条件とは、後から始めた者が先に始めた者よりも速いこと。
国の歴史とは時間の経過で積み重ねられるもの。
時間が経過する早さは、どの国も同じである。
つまり、世界一歴史が長い我が国日本を追い抜くことは不可能である。
海外が少し歴史を伸ばしても、その分だけ日本国も歴史を伸ばす。
海外よりも圧倒的に先を歩む日本国を追い抜くことなど不可能だ。
このことが、日本人差別を行う集団を苦しめる。
日本人差別を行うとは、どのような意味か。
日本人を自分達よりも下にすることである。
日本国の歴史が世界一であることは変えられない。
このことが、日本人差別を行う集団を大いに苦しめる。
歴史を刻む速度が同じである場合、我が国日本に歴史の長さで勝つことは不可能である。
では、日本人差別を行う集団は、どのように行動するのか。
日本人差別を行う集団は、ゾウの鼻やキリンの首を隠すことを考える。
ゾウとキリンを完全に隠すのは難しい。
なぜなら、ゾウとキリンは非常に大きいからだ。
全てを覆い隠すのは不可能に近いだろう。
仮に、ある地点からは完全に隠せたとしても、別の場所からは全身が見える。
そうなるとゾウやキリンを隠すことを諦め、別の方法を考えるだろう。
ゾウやキリンを隠せないなら悪者にする方法を考えるだろう。
悪者を見たがるような人間は悪であり、反省が足りない証拠であると攻撃する。
ゾウやキリンが悪者ではないと考えること自体が悪であると、日本人を染めようとするだろう。
ゾウやキリンは悪者なのか。
なぜ、日本人差別を行う集団はゾウやキリンを悪者にするのか。
日本人差別を行う集団は、ゾウやキリンが悪者だと主張する。
しかし、祖父母から話を聞いた人は不思議に思う。
祖父母の話では、ゾウやキリンと遊んでいた人が珍しくなかったと聞いた。
これは、どういうことなのか。
日本人差別を行う集団の発言に疑問を持った人が、ゾウやキリンの過去を調べた。
少し調べるとゾウやキリンと遊ぶ人の写真が出てきた。
日本人差別を行う集団の話では、ゾウやキリンは人間の命を奪い、周囲の人から嫌われていたと聞いた。
だが、写真が切り取った一瞬は違う答えを見せる。
ゾウやキリンと遊ぶ人の写真。
一緒に遊んでいる人は楽しそうである。
どう見ても嫌われているとは思えない写真である。
その写真を見ると変なことに気付く。
ゾウやキリンと一緒に遊び、横で笑っているのは日本人差別を行う集団ではないか。
ゾウやキリンと一緒に笑顔を見せているのは、日本人差別を行う集団である。
なぜ、日本人差別を行う集団は、ゾウやキリンと一緒に写真を撮ったのか。
別の写真では、ゾウやキリンを歓迎しているものもある。
ゾウやキリンについて教わった内容と違う。
これは、どういうことなのか。
ゾウやキリンと一緒に写真を撮った人に、ゾウやキリンに何をされたのか質問をする。
質問された側は答える。
とにかく酷い扱いを受けた。非人道的な扱いを受けた。
具体的にどのような扱いを受けたかは言わない。
ゾウとキリンの写真を確認する。
その後、写真から得られた情報をたよりに、別の情報を探す。
それを繰り返すうちに答えが見つかる。
ゾウやキリンが有利なときは歓迎していたが、ゾウやキリンが負けると手のひら返しをして襲って来た。
日本人差別を行う集団が主張する酷い扱いとは、日本人よりも上として扱われなかったという意味だ。
日本人と同じ扱いをされたことを差別的な扱いと主張している。
東アジアの思想による順位付けでは、日本人は下に扱われる。
日本人と同じ扱い(人間扱い)をされたことに激怒している。(対等に扱われたことが許せないようだ)
東アジア系の思想では日本人よりも上に扱われるはずだが、日本人と対等であることが許せないのだろう。
また、日本人から物事を教えられたことも激怒する理由だ。
何かを教えるとは、上の者が下を教えることになる。
東アジアの思想では下になる日本人が、指導者側(上)になったことが屈辱的なのだろう。
他にも日本人が日本人に人間として扱われたことに激怒している。
簡単に言うと日本人差別が行われない環境であったことに腹を立てている。
何を言っているのか分からないと思うが、そういうものである。
理解するとかの問題では無い。
考えたらいけない。考えても理解出来ない。そういうものである。
東アジアの思想では劣っているとされる存在に頭を下げたこと、施しを受けた事実を黒く塗り潰したいだけだ。
東アジアの3チーム、全て似たような発想。
常に日本人を加害者にすることで自分達の優秀さを証明しようとするが失敗する。
日本国は世界一歴史が長い国である。
これを、周りとの付き合い方で考えると面白いことが分かる。
歴史が長いとは、日本人同士で助け合ってきたという意味。
外敵からの侵略も跳ね返してきたという意味だ。
例えば、他者を見下し攻撃しているとどうなるか。
おそらく、相手から報復されるだろう。
周りを攻撃し続けると敵が増え、最終的には滅ぼされる。
これが日本人差別を崩すために必要な鍵である。
世界一歴史が長い日本国と、歴史の長さで追い付けない海外。
これを、どのように解釈するか。
サッカーでは人権を大切にすることが求められる。
人権を大切にするとは、相手の命を大切にすること。
日本人差別をすることは日本人の人権を守ることではない。
人権を大切にするという言葉を相手の命を大切にすることと置き換える。
そうすると、面白いことが分かる。
サッカーでは相手の命を大切にすることが求められる。
相手の命を大切にするとは、相手をサッカー選手として扱い、生命だけでなく選手生命も守ることである。
相手を大切にする選手は、相手から敬意を払われることが多い。
サッカーとしての激しいプレーはあっても、暴力的なプレーは減るだろう。
正当な激しさの中で戦うことで選手としての能力が磨かれる。
選手としての能力が磨かれるとは、サッカー選手として歴史を作るという意味だ。
サッカー選手として歴史を作れば、それで終わりなのか。
終わりではない。
その選手を見て育った次の世代が、その先の歴史を作る。
このように歴史を作った選手が次の選手を育てることで、サッカーの歴史が生まれる。
サッカーの歴史があるとは、サッカー選手としての生き方を知っているということである。
では、暴力的な選手は、どのような人生を歩むのか。
暴力的な選手の人生を扱う前に、暴力的とは何かを決める。
暴力的とは、関係の無い場所でも相手を痛め付けるという意味にしよう。
仲間が暴力的なプレーで被害に遭ったとき、サッカー選手はどうするのか。
味方が相手に報復することがある。
一般的な価値観では暴力的な行為は認められないが、相手が特殊な場合、一般的な価値観は役に立たない。
暴力的なプレーをした相手に報復する。
痛みで相手を教育する。相手のルールで相手を教育する。
サッカーの歴史が長いとされる国は、このように考えると思う。
相手を攻撃したら自分達も痛い目に遭うと身体に叩き込むことで、それ以上の暴力を止める。
いわゆる、抑止力である。
日頃から暴力的なプレーばかりする選手は、対戦相手に嫌われるだろう。
腹を立てた選手が、試合中に手足を折りに来るかもしれない。
手足を折られた暴力的な選手は、その後どのような人生を歩むのか。
すぐに回復したとしても怪我をする前に戻すのは難しいだろう。
怪我を治している間に周りの選手が練習をするなら、周りとの差が大きくなる。
怪我をする前は同じぐらいの能力だとしても、試合に復帰するころには相手に差を付けられているかもしれない。
速さの問題で考えるなら、怪我をした選手は動くのが遅いが、周りは動くのが速いとなる。
例え後からチームに参加した選手であっても、暴力的な選手が復帰するまでに重要な選手になっているかもしれない。
怪我を治したとしても別の選手が活躍しており、チームに居場所はないかもしれない。
暴力的な選手は一般的な選手よりも悪意を持って壊されることが多いだろう。
それを考えると本人が持っている選手としての寿命よりも早く引退が来るかもしれない。
周りに悪意を振り撒く選手は、自分の悪意によって滅ぶ。
サッカー選手としての歴史は作れないだろう。
サッカー選手としての歴史が作れないだけでなく、次の世代に負の遺産を押し付けるだろう。
暴力的な選手を目標とする人間はいるのか。
おそらく、いないだろう。
仮にいたとしても、似たような思想を持つ人間ぐらいだ。
他者を攻撃する人間を持ち上げるような集団は誰かを助けることはしない。
それは、壊すことにしか興味が無いからだ。
誰かを助けるという発想は無いだろう。
壊れたら終わりだ。
日本人を攻撃するときにサッカーの歴史を持ち出す集団がいる。
この集団は歴史に強いこだわりがあるように思える。
では、日本人差別を行う集団が強く執着するサッカーの歴史について観察しよう。
日本サッカーの歴史は長いのか。それとも短いのか。
答えは長い。
正確な記録は分からないが、サッカーが伝わったのはドイツよりも先だったはず。
日本サッカーの歴史は実は長い。(日本サッカー協会によると明治6年、西暦1873年とある)
しかし、日本サッカーで歴史が語られるときは「短い短い」と強調されることが多い。
これは、なぜか。
答えは非常に簡単だ。
本当は日本人に負けているという自覚があるからだ。
本音では日本人の方が優れていると思っているからだ。
日本人差別を行う集団が日本人を攻撃するのはなぜか。
日本人の方が優れているから。
なぜ、このようなことが言えるのか。
サッカーの話をすれば分かる。
日本サッカーの歴史を語るとき、日本人差別を行う集団は何と答えるか。
相手が言う内容を注意深く聞くと分かる。
日本サッカーの歴史は実は長い。
では、何が短いと言われているのか。
プロが生まれてからが短い。
これが答えである。
この発言は非常に興味深い内容を含んでいる。
日本サッカーの歴史を語るとき、日本サッカー全体の歴史ではなく、「一部だけを切り取って語る」
このことが、日本人差別を行う集団の弱点を強調する。
例えば、日本が勝利した試合を除くと、日本は勝ったことが無いという文章。
このような話を聞いたことがあるか。
聞いたことがある人はいるのか。
いるかどうかを聞く前に、この文章がおかしいことを指摘しておく。
日本が勝利した試合を除くと、勝ったことが無いというのは当たり前ではないか。
このようなふざけたことを言う人は存在するのか。
実は存在する。
日本代表をある程度応援しているなら、一度ぐらいは聞いたことがあるはず。
私は何度か聞いたことがある。
では、誰が言うのか。
東アジア系が言う。
日本サッカーを叩き落とそうとする報道関係者が嬉しそうに繰り返す。
実際に使われる文章はもう少し細工がされているが内容は同じ。
まずは引き分けの話で練習する。
日本は、ここ10年、相手に勝てていません。(8年前後が多い気がする)
こう言われると負けているように感じるが実は全部引き分け。
しかも、試合した回数が2回という場合もある。(3回なら多い方)
表現の仕方で印象が大きく変わる。(相手も日本に勝ったことが無い)
かなり悪質な報道の仕方。
日本が勝利した試合を除くと言うと気付かれるため、90分で勝てたことは無いと言う。
日本が延長戦で勝ったことは無効にする言い方。または、日本がPK戦で勝ったことは無効で相手が勝てば有効等。
試合終了直前に点を取り日本が勝利した場合は、余裕を持って勝てたことが無いと表現する。
最初から悪意しかない。悪意で世界一周旅行が出来そうだ。
日本人差別を行う側が報道する場合、まとな情報は期待出来ない。
ただし、1つだけ信頼出来る情報がある。
それは、日本が負けたときは嬉しそうに何度も負けたと言い続けること。
説明の仕方を変えるなら、日本が負けたと強調しないときは日本の勝利か引き分けか。
日本人差別を行う側は、日本人を痛め付けることを優先する。
東アジア系が一番攻撃力があると考えているのが日本が負けたという言葉だろう。
それを考えると負けたという言葉が出て来ない場合は、日本が勝ったか引き分けたと受け取るといい。
一番良いのは自分で過去の試合を確認すること。
報道が日本人の邪魔をする。他の部分でも似たようなもの。(例、政治等)
日本国民の敵。
東アジア系は歴史の長さで日本に勝てないため、日本の歴史を短く切り刻む。
これが一番大事な部分。
上で日本サッカーの歴史に触れたとき、全く同じことが起きていた。
明治6年(西暦1873年)から始まる日本サッカー全体の歴史ではなく、プロが始まってからの歴史を選ぶ。
長い方の歴史と短い方の歴史が存在するとき、日本人差別を行う集団は日本が不利になる方を選択する。
なぜ、短い方の歴史を選ぶのか。
それは、日本人差別がしやすいから。
東アジアの思想では日本の順位が一番下になるが、その日本の歴史が世界一長いという事実がある。
これが東アジア系の心に苦しみを与え続ける。
世界一歴史が長い日本国に対して、サッカーの歴史が短いと言う意味は何か。
なぜ、日本人差別を行う集団は、日本はサッカーの歴史が短いと嬉しそうに繰り返すのか。
それは、世界一歴史が長い日本国に対して、サッカーとはいえ歴史が短いという単語を浴びせることが非常に気持ちが良いから。
サッカーの歴史と組み合わせて使われる言葉が他にもある。
後進国という単語だ。
日本は先進国であるが、その先進国である日本国に対してサッカー後進国という言葉を叩き付けることが独特の興奮を生み出すのだろう。
後進国という言葉は敬意が無いという理由で使われないことが多い。
人権後進国として東アジアを紹介するか。フェアプレー後進国として東アジアを扱うか。
後進国という単語が出るのは非常に珍しいはずだ。日本人を侮辱するときにしか使われないだろう。
先進国であり世界一歴史が長い日本国に、サッカー後進国やサッカーの歴史が短いと言うことで興奮する東アジア系が想像出来るだろうか。
東アジアの思想では日本が一番下になるはずだが、現実はそうでは無い。だから世界を塗り潰す。
日本は先進国で世界一歴史が長い国である。
その日本に対して東アジアの理想通りの完璧な侮辱が出来るサッカーには、日本人差別を大好物とする人間が集合しやすいのだろう。
異常なぐらいサッカーの歴史の短さやサッカー後進国であることを強調する人間がいる。
そのような人間の情報を確認すると、日本人差別が隠されていることが多い。
上手に隠しているつもりが、本音が隠せていないことが珍しくない。
中には日本人差別を全く隠さない人間もいるようだが。
自分達が見下している対象が結果を出しているとき、日本人差別を行う集団は何を思うのか。
日本人の苦しむ顔を見て興奮したい人間が、日本人選手の幸せに貢献するか。
日本人のために働くことは絶対に無いだろう。
日本サッカーを語るとき、サッカーの歴史が短い、サッカー後進国と言う人間の表情を見るといい。
日本人への憎悪が、欲望が、垂れ流しになっている。
指導者の発言内容にも気を付けた方がいい。
日本人を指導したがるような人間は警戒した方がいい。
私なら距離を取る。
選手の立場だと難しいかもしれないが。
私が選手なら適当に付き合うだろうか。
日本人差別をする集団は、日本人が優れていることが気に入らない。
日本人が結果を出すと情報を切り刻み、結果が出ていないように作り変える。
なぜ、そのようなことをするのか。
何度も言うが、日本人差別をするためだ。
日本人と基本的な価値観を共有していない。
日本人差別を行う集団がサッカーを語るとき、日本人を痛め付けるために都合の良いように切り刻むと紹介した。
これは日本国の歴史を扱うときにも行われる。
日本国の歴史が世界一であることは、東アジアの思想に反する。
では、日本人差別を行う集団は、どのような行動をとるのか。
サッカーの歴史を切り刻んだように、東アジア系は日本国の歴史も切り刻む。
では、どのように日本国の歴史を切り刻むのか。
東アジアの思想通りになるように切り刻む。
具体的に言うと東アジアの中で歴史が一番短くなるようにする。(または東アジア系の祖国より日本が下になるようにする)
日本国の歴史を語る場に行くと、独特な思想を垂れ流す存在が見つかる。
独特な思想とは何か。
何度も繰り返しになるが、東アジア原産の日本人差別だ。
日本人差別を行う人間は、日本人が優れているはずが無いから歴史も短いと主張する。
日本人が劣っているはずだという結論があり、それに合わせて日本の歴史を切り刻む。
具体的な数字は覚えていないが、第二次世界大戦の後、終戦後より少し後ぐらいから数えることが多い印象だ。
第二次世界大戦という言葉も一つの判断材料になるだろう。
大東亜戦争という言葉が出てくるかも確認しておきたい。興味深い単語である。(細かいことは触れない)
さて、日本国の歴史を切り刻むために必要なことがある。
それは何か予測出来るだろうか。
上の方で何度も書いている内容だ。
そう、祖父母の日の丸を黒く塗り潰すことだ。
上の方でゾウとキリンの話が出てきた。
ゾウとキリンを見たことがある祖父母は、本当の姿を知っている。
祖父母は正しい情報を持つため、嘘を広げる勢力から見ると邪魔な存在である。
偽りの情報を広げるには祖父母の口を封じる必要があるだろう。
日本人差別を行う集団は、祖父母の発言権を奪うことを考えたようだ。(祖父母との同居を否定し核家族を絶賛する、祖父母の知識は古くて役に立たない等)
ゾウやキリンを生で見たことがある祖父母がいると、子供に正しい情報を教えてしまう。(教育情報は時代と共に変化するが過去に何が起きたかは変わらない)
最初は祖父母の正しい知識に苦戦したようだ。
しかし、祖父母も人間だ。
どんなに子や孫と過ごしたいと願っても、いずれ寿命が来てしまう。
日本人差別を行う集団は祖父母が他界するまで待つようだ。
持久戦になると祖父母が不利である。
日本人差別を行う集団は祖父母の寿命が尽きるのを待つ間に、世界を黒く塗り潰す。
日本国に褒められる箇所などあってはならないと墨で山を作る。
黒く塗り潰すだけでなく、塗り潰した部分に嘘の情報を書き込む。
日本人が優れているなどと思ってはいけない、日本人は常に劣っていると考えろと、日本人差別を行う集団が徹底的に日の丸を消しに来る。
祖父母の戦いも虚しく、日の丸が黒く塗り潰されてしまう。
どんなに優れた人間も寿命には勝てないからである。
祖父母が倒れた後、日の丸は滅んだのか。
日本人差別を行う集団は日本人から日の丸を消し去ったと喜んだようだ。
上手くいった、日本人差別を完全に浸透させたと自慢する。
あるとき、日の丸を消そうと必死だった集団の一部に異変が起こる。
自分達が信じていたものが揺らぐ。
信じるものが揺らぐと、その後の人生を変えてしまう。
命はあっても、死んでいるのと同じだ。
詳しく追いかけていないため正確な表現は出来ない。
だが、流れは理解しているので問題無いだろう。
自分達が優れていると信じていた集団。
日本人差別が正しいと信じて日の丸を黒く塗り潰した集団。
自分達が理想として掲げていたものを実現していた日の丸。
それに気付いたとき、人は何を思うのか。
劣っていると決めつけ命を奪い尊厳を踏みにじった相手が、実は自分達が理想とする人間だとしたら。
日本人差別をするような人間がまともだとは思わないが、ゴマ3粒分程度の知性が残っているなら考えを修正するだろう。
日の丸を黒く塗り潰した人間が、日の丸を守れと主張する。
この意味が分かるだろうか。
日本人差別を行う集団は、日本人が死亡すると喜ぶ。
より死者が出るように祈るだろう。
昔、白人ではない日本人を大量に焼いた集団がいた。(これをどうこう言うつもりは無い)
白人ではない日本人が死亡しても心が痛まないのだろう。
宣教師が奴隷を持つことに疑問を持たぬように、白人ではない日本人の命が消えても白人は全く気にならないのかもしれない。(ここでどうこう言うつもりはない)
そういう思想なのだろう。別に不思議ではない。
肌の色が違うから死亡しても気にしないのだろう。そういう思想なのだろう。
宗教が違うからだと思う人もいるかもしれないが、教会にある像も被害に遭ったことを聞くと宗教は関係無い。
肌の色で待遇が変わる。
そういう世の中なのだろう。
日本人差別を行う集団は日本人の命が失われると喜ぶ。
これは今も昔も変わらないようだ。
昔、原爆が落ちた。
落としたのは誰か。
今は令和である。
令和の時代、報道関係者が褒め称えるのは、どの集団か。
日本人に敬意を払う集団か。それとも、日本人の人権を奪う集団か。
日本人差別を行う集団は、日本人が苦しむことに興奮するようだ。
日本人の死者が増えることを強く願うようだ。
では、報道関係者が褒め称えるのは、どのような人間か。
報道関係者が日本人差別に反対するなら、日本人の人権を守ろうとする集団を褒めるだろう。
だが、報道関係者が日本人差別を好むならば、日本人の命を奪う集団を褒めるはずだ。
昔、原爆が落ちた。
原爆で死者が出た。
落としたのは誰か。
報道関係者が褒め称える集団はどこか。
もし、日本国内の報道関係者が日本人の人権を大事にしていると言うならば、日本人の命を守る政党を褒めるだろう。
しかし、報道関係者が日本人の不幸を望むならば原爆を落とした政党を褒め、落とさなかった政党を侮辱するだろう。
日本国内の報道関係者は誰のために報道するのか。
何のために報道するのか。
日本国民の不幸を切望しているとしか思えない。
日本国民の財産である電波を使用して日本人差別を行ってはいないか。
日本人差別を行う集団には不思議な共通点がある。
それは、人権を守れと主張すること。
日本人の人権を踏みにじる集団が人権を守れと主張するのは変ではないか。
日本人差別を行う集団を上で扱った。
東アジア系と、欧米系の団体だ。
東アジア系の情報はある程度持っているかもしれない。
サッカーおでんでも東アジア系の日本人差別については結構取り上げている。
だが、欧米系の団体については今回始めて触れる。
そのため情報量が少ないかもしれない。
情報量が少なくても全く問題無い。
なぜならば、東アジア系と同じだからだ。
肌の色を変えるだけ。
上の方で宣教師を扱った。
宣教師は宗教を広めるために活動しているように思えたが実際は違うのかもしれない。
宗教は人類に平和をもたらしたのか。
おそらく、もたらしていない。(宗教が考える平和と日本人が考える平和が違う可能性も)
宗教には興味がないため細かい内容は知らない。
知らないが大丈夫だ。
だいたい同じようなものだろう。
異教徒は人間扱いされない。
これを理解しておけば問題ない。
異教徒とは信じる神が違う人のことだ。
宗教が違うから人間扱いしなくても良いと考えるようだ。
自分とは違う人がいると考えるのではなく、人間では無いと考える発想が理解出来ない。
宗教で確認しておきたい内容は、異教徒は人間扱いされないということ。
次は、人種のことを確認する。
上の方で白人と治療の話をした。
日本人差別を行う白人は、白人は賢いが白人では無い人間は治療出来ないと考えるようだ。
白人の血を上に考えるとは、白人以外は人間扱いしないということだろう。
日本人差別を行う白人の話で確認したいのは肌の色(または血)で判断すること。
これで必要な知識が用意出来た。
では、様々な時代に散らばった日の丸を探しに行こう。
日本人差別を行う集団を東アジア系と欧米系に分けたが、結末は同じなのでまとめる。
日本人差別を行う集団はどうなるのか。
滅ぶ。
日の丸を燃やし切り刻む集団はどうなるのか。
滅ぶ。
日本人差別を行う集団は人権を大事にしない。
海外から見ると異教徒であり白人でも無い日本人は攻撃の対象になるのかもしれない。
たとえば宣教師が日本に来たとき、日本人を奴隷として売り飛ばすことを考えるだろう。
そのまま日本人を捕まえて売り飛ばすのは難しいため、信者を増やすことから始めるかもしれない。
どのように脅して日本人を改宗させるのかは分からないが、神を信じない人間は地獄に落ちるとでも言って脅すのだろう。
例えば地獄と親の話。
神を信じないと地獄に落ちるとした場合、既に他界している親は地獄に行くことが確定である。
自分だけが地獄行きを逃れることを子供はどう思うのか。
親を嫌っている場合は別だが、親を大切に思う人間が自分だけ天国に行くのは心苦しいかもしれない。
そう考えると親がいるであろう地獄に行くことを選択するのではないか。
地獄を選ぶとは、宣教師に従わないという意味だ。
新しい宗教を信じると親と会えないなら、宣教師の教えは無視した方がいいだろう。
宣教師が親と子供を引き裂く悪魔に見えるかもしれない。
優れた神を信じろと宣教師が言う場合、なぜ日本に来るのが遅れたのか不思議に思うだろう。
様々なことが分かる神ならば、日本国に人間がいることを知っているはずである。
それなのに布教するのが遅い。
宣教師の来日が遅いだけではなく、親と離れるのが嫌だと考える日本人の感情を予測出来ないのもおかしい。
なぜ優れた神の教えを説くような人間が簡単なことも分からないのか。
非常に賢いと言われても信用出来ないだろう。
宣教師が実際に愛や平和を語るのかは分からないが、仮に語るとしよう。
愛や平和を語るわりには神の名のもとに争いを起こしているのではないか。
また、奴隷を扱うのは何なのか。
異教徒は人間扱いされない、肌の色が違う者は人間扱いされないのならば、宣教師が言う愛や平和とは何なのか。
例えば日本人を奴隷として売り飛ばすような人間が神を語れるのか。
それは本当に神なのか。
白人が考える差別思想を正当化するための装置ではないのか。
祖父母の昔話。
宣教師が金儲けのために様々な人間を奴隷として売り飛ばす。
当然、日本人も商品として狙われる。
宣教師が金儲けの道具として日本人を奴隷として扱うなら、それを見た日本人は激怒するだろう。
また同じ日本人でありながら日本人を奴隷として売り飛ばす宗教家に対する感情も悪化するだろう。
何かの樽(たる)と日本人女性を交換することもあるかもしれない。(樽の数は色々説があるようだ)
何か珍しい物が欲しければ日本人男性や日本人女性を奴隷として売れと要求するかもしれない。
日本人が奴隷として売られていたこと、同じ日本人でありながら日本人を売り飛ばした宗教家への印象はどのようなものになるか。
宗教では綺麗なことを言いながら行っていることは汚いこと、日本人の奴隷が地球の反対側である南米だけでなく世界各国にいるとすれば、愛と平和の宣教師を叩き出そうと考えるのも不思議ではない。
海外に売り飛ばされた日本人女性が異国の地で人間として扱われず辱めを受けている姿を見たら、宣教師に対する印象も変わるのではないか。
南米にも売り飛ばされた日本人奴隷がいると聞けば宣教師に激怒するのも納得出来る。
現在でもブラジルは遠い。そのブラジル周辺まで日本人が売り飛ばされていると知れば印象が大きく変わる。
宗教で幸せになるのは誰なのか。
何かの樽(タル)と日本人女性が交換されたことや日本人男性も売り飛ばされたのなら、宣教師が語る宗教は日本人を幸せにするものではないのかもしれない。
海外が儲かりました。何で儲かったのか。
日本人の人権を尊重してお金を稼ぐのと、日本人を奴隷として売り飛ばして金儲けをするのは違う。
日本人を奴隷として売り飛ばしていたなら日本人が被害者で宣教師側が加害者になるが、そのような情報は日本人に届いているのか。
日本人が奴隷として売り飛ばされたことが一切無かったから、日本人の被害情報を習わないのか。
日本人が被害者にならないように世界が黒く塗り潰されている。
日本人が常に加害者になるように、日本人を滅ぼすことが正義であるかのように世界が塗り替えられる。
宗教が日本人から人権を奪う根拠になるとしたら、侵略者である宣教師は追放されるだろう。
奴隷として売り飛ばされた日本人が総理大臣になるという漫画や小説を書いたら人気が出るだろうか。
「奴隷 総理大臣」で検索すると似たような題材の作品が出てこないか。
日本人の血を消そうとする集団は、日本人が悪者であることを望む。
あいつらは悪者だから滅ぼすことが正しいと殺人を正当化するためだ。
悪者の命を奪うことが正しいと考える集団は、悪者が被害者であることを許さない。
悪者の被害情報が広まると、日本人差別を行う集団が正義であると偽れないからだ。
日本人差別を行う集団は侵略者である。
侵略の仕方は東アジアも欧米等も同じ。
優れている自分達が劣っているお前達に文明を教えてやるという態度。
侵略される側が優れていることなどあってはならない。
滅ぼされる側は常に悪でなければ、侵略を正当化することが出来ないからだ。
したがって、侵略される側が被害者だと証明する出来事は黒く塗り潰される。
こんなにも劣っている集団だから滅ぼされて当然であると、身内を奪われた側が抵抗しないようにする。
相手国を乗っ取るとき、侵略を正当化するための手段として異教徒を悪者に仕立て上げる。
自分達が日本人の命を奪ったときに着用した衣服を、別の日本人に着せようとする。
そして、それを根拠に再び日本人の命を奪おうとする。
自分達の犯行を日本人に擦り付けるのは、犯人が無関係の人の部屋に凶器を隠すようなもの。
凶器が出てきた部屋の持ち主よりも、なぜか現場の状況に詳しい自称平和を愛する集団。
犯人しか分からない情報を持つ、自称人権を大切にする集団。
日本人の被害情報は徹底的に黒く塗り潰される。
このようなことは今でもある。サッカーの試合でも同じようなことが起きる。
相手の暴力的なプレーに対してあたりが激しい、気持ちが強い、相手を怒らせたから壊されて当然だと日本人の被害を黒く塗り潰し、日本人が悪者であるかのように世界を作り変える。
日本人を差別することが正義であると信じて疑わない集団は、日本人の命を守ろうとする人を攻撃する。
日本のGKである自衛隊。日本のDFである警察。日本のFWである政治家。
日本人差別を行う集団は、日本人の命を守ろうと戦う存在を徹底的に攻撃する。
日本のFWが孤立するように日本国民の命を守る正しい情報を黒く塗り潰す。
日本のGKが動けないように装備や予算を削り、GKの人権を制限しようとする。
日本のDFの一歩目が遅れるように捜査情報等を流し犯人の逃亡を手助けする。
一番前で戦う日本のFWと、一番後ろで戦う日本のGK。GKの1つ前で戦う日本のDF。
この3つのポジションを攻撃するように日本人を誘導する。
FWやDF、GKだけでは人数が足りない。
では、足りないのはどのポジションか。
人数が足りないのは日本のMFである日本国民だ。
日本のFWが孤立しないように助け、日本のDFやGKが守りやすいように協力する。
報道関係者がしていることは日本チームを破壊すること。
日本国民が日本のFWを見殺しにするように教育しようとする。
日本のFWを助けるとは選挙で投票すること。
日本国民に支持されていると実感出来るほど日本のFWは勇気を持って戦える。
いくら報道関係者に攻撃されようが、日本国民からの声が届けば日本のFWは最前線で戦える。
いつかは忘れたが、明らかに日本の空気が変わったときがあった。
日本のFWは準備が出来ている。日本のDFも準備が完了している。日本のGKも訓練を行い、そのときに備えている。
足りないのは日本のMFの準備だけ。
選挙に行く人が少ないと東アジア系の組織票が有利になる。
選挙に行く日本人が多くなれば東アジア系の日本侵略が難しくなる。
侵略者は乗っ取りが楽になるように、日本人が選挙に行かないように誘導する。(どうせ投票しても無駄、自分の1票では変えられない等、諦めさせる言葉を日本人に浴びせる)
自分一人がFWを助けに行っても無駄か。自分一人では守備陣を助けられないか。
サッカーを知る者なら一人増えるだけでも有利になることが分かるだろう。
大事な場面で、もう一人仲間がいたら勝てたかもしれない。
1票は非常に少ないように思えるが、それが集まることで多数派が生まれる。
選挙の無い国にとっては、1票とは非常に大きな、憧れの存在である。
国を左右する1票は、日本国民にとっても大きな存在。
自分達が投票出来ないのに日本人だけが投票出来ることが気に入らないのだろう。
サッカーは11人が出て戦うが、投票には人数制限はない。12人目の選手に人数制限はないのだ。
日本代表の一員として1票だけで戦う場。
日の丸を付ける1人として投票しない理由が見つからない。
日本が世界一歴史が長い国であるのは、先祖が子孫のために国をつないだから。
サッカー日本代表が歴史を作るように、名も無き先祖が歴史をつないだから今の日本国がある。
東アジアの日本侵略を跳ね返し、東アジア系にそそのかされた欧米等の攻撃にも耐え、原爆等の被害からも立ち直り、自然災害や東アジア系の人災からも復興する。
付き合う相手は選んだ方がいい。
遣唐使の廃止は、白紙(西暦894年)に戻す遣唐使と覚えた。
そういえば元寇というものもあった。
日本国が世界一歴史が長いとは、それらを全て跳ね返して来たという意味だ。
凄くないはずが無い。
遺伝子で人の優劣が決まるなら、なぜ優れているとされる人達の歴史は非常に短いのか。
なぜ、優れているはずの人々が住むところは国としての歴史が短いのか。
日本人よりも優れているというのならば、日本国が世界一歴史の長い国であるのはなぜなのか。
目の前の世界を見たとき、優れているのは日本人ではないのか。
相手側の考え方を借りるならば、世界一歴史の長い日本国を受け継いできた日本人こそが、世界で一番優れていると言えるのではないか。
なぜ、日本人が優れているという可能性に一切触れないのか。
まるで海外の方が優れているような言い方をする人間がいるが、それは目の前の世界を正しく認識出来ていないからではないか。
目の前の世界が正しく見えない原因は、差別思想にあるのだろう。
日本人よりも自分達の方が優れているに違いないという願望が、世界を黒く塗り潰す原動力になるのだろう。
日の丸とは、日本人差別との戦いの歴史である。
せっかくだから、私が面白い話をしよう。
きっと日本人差別を行う集団も気に入ってくれるはずだ。
優秀さが変わるのかを上の方で考えた。
日本人は優秀さは変わると考えていると予想したが、せっかくだからもう少し遊ぼう。
心に日の丸を付ける日本人だけでなく、日本人差別を行う集団にも喜んでもらえる内容だと思う。
サッカーおでんの名前の話で、俺の脳みそくれてやるという候補があったと書いた。
なぜ、このような文章が第一候補だったのか。
それは、ここから先を読むと分かる。
私は家にはお金が無いと聞いていた。私はそれを信じていた。何かを買ってもらうという発想は生まれなかった。
親から見ると扱いやすい子供だったのだろう。表面上は。
私には、お金が無い。お金が無いなら買うという発想が生まれない。
欲しい物。欲しい物とは何なのか。まず、欲しいという意味が分からない。
欲しいという発想を発明するのは天才だと思う。冗談ではなく本気でそう思う。
何かを欲しいと考えて、買ってと言える子供は天才だと思う。私は今でもそう思う。
お金が無い私、欲しいという発明が出来なかった私。私は何をしていたのか。
記憶は無い。ただ、人の話を聞いていたのは覚えている。
人は変わるのか。優しい人は、いつから優しいのか。
乱暴な人は、いつから乱暴なのか。
私には分からない。分からなくても気にしない。
私が興味を持つのは他人の脳みそだ。脳みそだと気持ち悪いから思想や思考と言う方がいいだろうか。
私は、他者の美学に触れるのが楽しい。
他者の美学とは脳みそのことである。人の脳みそをもらうことは出来ない。
ならば、どうするか。
相手の話を聞けばいい。
一般論として私は無能なグループに入るだろう。私個人の能力は非常に低い。
また知性も犬のフンと似たようなものだろう。私は何かを持っているわけではない。
そう、私は何も持っていない。それが私を生み出した。
美学とは何か。細かいことは知らないし、どうでも良い。
周りの邪魔にならないように楽しめるなら大丈夫だろう。
自分でも何を書いているのか分からない。だが問題無い。多分誰も読んでいない。
サッカーおでんが今の形になる前の話。
私は脳みそという単語を入れたかった。
私を助けてくれた人、私を楽しませてくれた人達への敬意を一番目立つ場所に載せたかったから。
私は何かを持って生まれたわけではない。
ただ、周りには何かを持つ人がいた。私は周りを見ることが楽しかった。
私の大きな遊びは、相手の脳みそを集めること。
脳みそ集めと聞くと恐ろしいが、考えを集めると表現すれば伝わるだろうか。
そう、俺の脳みそくれてやるとは、私が集めた脳みそコレクションを日本人に伝えるという意味だ。
ここでは誰を偉人と呼ぶかは考えない。
私は、自分が素晴らしいと思った人の脳みそを集めている。
それが、サッカーおでん、俺の脳みそくれてやるを生み出した。
退屈な自分語りは終わりにしよう。過去の私が喜ぶような面白い話をしたい。
私は何も持っていないのかもしれないが、私は偉人の脳みそに囲まれている。
私に魅力を感じないのは、私に中身がないからだ。
私に魅力を感じるとしたら、それは私が集めた偉人の脳みそに反応しているからだろう。
私の偉人コレクション、結構自信がある。
ここからは、日本人差別を行う集団の脳みそを借りて遊びたいと思う。
犬のフンのような話は印象に残らないから覚えてはいないが、たしか優秀さは変わらないという考えを持つ集団がいたはずだ。
優秀さを決める判断材料は複数あった。
国籍や生まれた場所といった土地、どの親から生まれたかという遺伝子や血。肌の色は血と同じにしよう。宗教もあった気がする。
上の材料で遊ぶ。
読む側も書く側も楽になるように、まずは組み合わせを考えたい。
優秀さの考え方は、変わると変わらないの2種類。
優秀さを決める判断材料は、国籍、血、宗教としたいが、国籍と血をまとめ、血と宗教の2種類にする。
日本人は優秀さは変わると考えていると予測したため、この選択肢は使わない。
日本人が想像する内容だと思うので、そこまで面白くないと思う。(つまり、手抜きだ)
一番興味深いであろう日本人差別を行う集団の思想を用いた答えが勉強になるはず。
日本人差別を行う集団が日本人差別を行わなかった場合に見つける答えを探してみたいと思う。
これが分かれば、日本人差別を行う集団が非常に多いことが分かるはず。
優秀さが変わらない場合。
優秀な者は常に優秀で、そうではない者は常に駄目だとする。
この考えが正しいならば、日本人は昔から優秀であると言える。
日本国は世界一歴史が長い。
これは、日本人が昔から優秀であるという意味である。
優秀な者は常に優秀であるならば、国を維持し守り続けて来た人間は優秀であろう。
優秀さが変わらないと考える場合、世界一歴史の長い国を維持し守り続けてきた日本人は世界一優秀であると言える。
つまり、日本人が世界のお手本である。日本人を下に見るのは間違いである。
今の日本人が世界のお手本であるならば、昔の日本人も東アジアを含め世界のお手本であったのだろう。
日本人の感情からすれば対等が好ましいが、対等という知性を持たない集団には通じないだろう。
ならば、対等という知性を持たない集団でも分かりやすい表現をした方がいい。
日本人が上である。海外が下である。
優秀さを決める何かとして血と宗教があった。
血が優秀さを決めると考えるなら、世界一歴史の長い国を維持し守り続けてきた人間の血が優れているということになる。
その血とは誰の血か。
日本人の血である。
優秀さが変わらず血で決まると考えるならば、日本人の血を褒めるのが自然である。
日本人の感覚からすると血を褒められても困るかもしれないが、血でしか相手を判断出来ない集団のことを考えるなら、相手に合わせた表現が良いのかもしれない。
海外は、世界一歴史の長い国を維持し守り続けて来た日本人の血を欲する。
日本人を奴隷として売り飛ばしたのではなく、優れた血を欲していたのだろう。
この考え方は新しいが、日本人には受け入れられないだろう。
優れていると思っているなら丁重に扱うはずだ。
奴隷として扱うという発想が生まれること自体がおかしい。
では、優秀さが宗教で決まるとしたらどうか。
説明しやすいように日本人の宗教を日の丸宗教としよう。
日本人が世界一歴史が長い国を維持し守り続けられたのは、優れた宗教があったからか。
日本の宗教が優秀さを生み出すならば、日本に来た宣教師は日の丸宗教を信じるはずだ。
だが、そのような考えは無かったように思える。
世界一の歴史を生み出せない宗教に変えさせようとするのは間違いではないか。
宣教師の考えが理解出来ない。
日本人差別を行う集団のルールを用いて答えを出したが、どの答えも日本人差別を行う集団と合わない。
これは、日本人差別を行う集団が頭が悪いという証拠ではないか。
何か問題を解く方法があり、それを用いて答えを導き出したならば、私が出した答えと似たようなものになるはずだ。
少なくとも日本人に対して失礼な態度は取れないはずだ。(失礼な態度を取るのは優秀ではないから)
日本人の目の前に広がる世界はどうか。
日本人差別が溢れているのではないか。
相手と同じ解き方を使えば、日本人差別を行う集団と同じ答えが出るはずだ。
途中で間違わない限り似たような結論になるはずだが、そのようなことは起きなかった。
なぜ、答えが合わないのか。
問題の解き方があり、それを用いて答えを出すという考えが間違っているからか。
ならば、どのような考え方をすれば日本人差別を行う集団と同じ答えが出せるのか。
そもそも、日本人差別を行う集団と同じ答えを出せる方法など存在するのか。
ここを追求しても時間の無駄だろう。
その理由は、過去の日本人も同じようなことを試みたと思うからだ。
先祖が長年答えを探そうとしても導き出せなかったとなると、私が頭を使っても良い結果は出ない。
ここで必殺技を出そうと思う。
海外は、そんな難しいことは考えていない。
たぶん、これが正解だ。
自分達が優れているという信仰が最初からあり、それを正当化するために適当なことを言っているだけだろう。
もし、これが正しいのならば海外の適当さにも納得が出来る。
海外にとって知性とは、相手を服従させる凶器なのだろう。
奪うことこそが幸せなのだろう。
思想が変わると治安も変わる。
助け合うとは与えること。
奪うとは潰し合うこと。
相手から奪う思想では世界一歴史の長い国を作れない。
世界一歴史の長い国を作るとは、同じ仲間と共に生きることである。
外敵を跳ね返すために助け合う必要がある。
与える文化である日本人と奪う文化である海外では、歴史の長さが合わないのは当然だろう。
生かす文化と滅ぼす文化。
全く逆だと思う。
私個人の意見を言わせてもらうなら、日本人以外にも与える文化、生かす文化が生き残っているのではないかと思う。
奪う文化や滅ぼす文化に襲われながらも何とか生き延びた人達がいるのではないか。
少しだけ期待している。
東アジアが繰り返し日本人を下扱いしようとするのは、昔から日本人が上であったという証拠を日本人から遠ざけようとしているからではないか。
まるで、日本人は昔から東アジアのお手本であるという記録が東アジアに存在しているかのような振る舞いだ。
東アジアの思想で1番とされる場所等を日本人の誰かが指導していた記録があるのかもしれない。
ここまで必死に日本人が下であると主張し続けるのは、東アジアで昔から日本人が先生であるという記録が見つかっているからではないか。
東アジアの振る舞いを見ていると、子供が親に何かを隠しているときのような動き。
何か知られたら困ることがあるのだろうか。
どうなのだろう。
ここから下は気分が悪くなる情報も含まれるため、精神の安定が望ましい人は読むのを避けた方がいいだろう。
気持ち悪い内容を書くときは注意書きを行う。
気持ち悪い内容とは、白人と治療の話で出てきた話。
人を食い物にするという内容。
嫌な予感がする人は読むのを避けた方がいいだろう。
注意。続きを読むか慎重に判断してください
ここから先は刺激が強い部分が出てくる。
気分が悪くなる可能性があるため読むのを避けた方がいいだろう。
特に妊婦は避けた方が良い。
更に女性も読むのは避けた方が良いだろう。
では男性なら良いのかと聞かれると、そうとも言い切れない。
上の方で人を食べるという内容が出てきた。
この言葉を聞いて嫌な予感がする人は読まない方が良いだろう。
人を食べる、漢文と聞いて意味が分かる人は知っている内容かもしれない。
ただし、新しい内容や知らない情報もあるかもしれない。
そう考えると、読むのを避けた方が良いとしか言えない。
ここからは気分が悪くなる情報が含まれる。
まともな人も、そうではない人も避けた方がいいだろう。
ここからの情報は、私が私のために書くものとする。
気分が悪くなったら即読むのを中止して頂きたい。
知識量が追い付かない人や感情の制御が難しい人は読むのを避けた方がいいだろう。
緊急脱出用の言葉として次の魔法を用意しておく。
頭がおかしい人が変なことを言っているだけ。
知識量や感情の制御が難しい人は上の言葉を何度も繰り返して欲しい。
サッカーおでんを切り捨てると良い。
私も、捨てられるつもりで書いている。
では続きを書こう。
時代が揺れるため多少混乱するかもしれないが作り話として聞いて欲しい。
無理に読む必要は無い。
ここから扱う内容は不快になるものが含まれます。
読まない方が良いと判断した場合は、速やかに読むのを中止してください。
無理に読む必要はありません。
白人と治療の話で、人を食べるという発想が出てきた。
日本人差別を行う集団の思想を用いて、これについて考える。
日本人差別を行う集団は、優秀さは変わらないという考えを持つと予測した。
この考えを使う。
優秀さは変わらないだと分かりにくいため、価値観は変わらないと表現する。
人間の価値観は変わらないとする。
これを使い白人の発想を観察する。
何かを想像するとき、その人が思い付ける範囲があるのか。
一度見たことがあるものは想像しやすい。
しかし、知らないこと、見たことが無いものは想像するのが難しい。
一度見たことがあるものでも覚えていないことがある。
見たものを忘れることも考えると、すぐに思い付く内容は本人に身近なものである可能性が高いかもしれない。
白人が日本人の骨を見て想像したこと。
人を食べるという発想は、なかなか出来るものではない。
出来る人もいるかもしれないが、日本人の価値観ではあまり出てこないだろう。
人を食べるのは食料が全く無い等、非常に特殊な場合。
一度、ここで考えるのを止める。
白人が人を食べるという発想が出来たのは、食料が無い状況が多いからか。
それとも、食料として人を見たことがあるからか。
人の価値観が変わらないとするならば、白人にとって人を食べるという発想は珍しくないのかもしれない。
価値観が変わらないならば、昔だけでなく未来でも同じような考えを持っている可能性がある。
昔の話は情報を集めるのが難しい。
ならば、未来の話はどうか。
未来なら情報を集めやすい。
当時の白人から見た未来とは、いつのことか。
未来を昭和、平成と設定する。令和も入れることにしよう。
一般的な日本人とはインターネットやテレビ、新聞等でニュースを簡単に確認する人のこととする。
一般的な日本人が触れる情報には、白人が人を食べているという内容は含まれないはずだ。
白人の価値観は変わったのだろうか。それとも、日本人が触れる情報が黒く塗り潰されているのだろうか。
日本人差別を行う集団を観察すると、人間の価値観は変わらないように思える。
もし、人間の価値観が変わらないならば、人を食い物にする白人が今も存在していても不思議ではない。
人を食い物にするという文章を食材ではなく、お金等で騙し取るとするならば、人を食い物にする白人は現在も存在する。
たしか欧州の話。
サッカー少年が肉体的、精神的、性的に食い物にされていたという話を聞いたことがある。
日本の報道機関が好んで取り上げるのは少女の被害だが、私が触れた情報では少年の被害の方が多かった。(状況によって割合が変わるのだろう)
性的な内容になると少年や男性を加害者側にしたがる勢力がいるのだろう。
この勢力は後から触れるが、日本人差別を行う集団だ。
日本人差別を行う集団は、日本人男性(少年も含む)の被害を黒く塗り潰そうとする。
人を食べるという話は一旦終わりにする。
今度は、宣教師が奴隷を扱っていることに触れる。
人間の価値観が変わらない場合、宣教師は今も奴隷で商売をしているはずだ。
表現の仕方は変わるが人間として扱われないことを奴隷とする。
昔日本に来た宣教師と今の宣教師を分けるために、現在の宣教師を宗教家と呼ぶことにする。
宗教家の宗教は特に限定しない。
宗教家が信者を食い物にしているという話は聞いたことがある。
日本国内でも宗教家が信者(少女)を食い物にしたという事件があった。
宗教家の国籍だけ見ると欧米だが、血で考えると東アジア系だった。(たしか欧米等の国籍を取得したはず)
海外の情報でも少年が宗教家に食い物にされたという報道が出た。(父子で被害に遭った事件もあったはず)
しかも小規模ではなく、大規模である。
このことを考えると宗教家は今も昔も人を食い物にしているのかもしれない。
ただし、一つだけ注意して欲しいことがある。
人を食い物にする宗教家がいれば、その悪事を批判する宗教家もいることだ。
同じ宗教を信仰している者が正しい行いをしろと注意していることを確認している。
宗教家が駄目だと言いたいわけではない。
ただ、素晴らしいとも言わない。
宗教というものが非常に優れたものであるならば、様々な問題を解決しているのではないか。
また、長期間宗教に触れているであろう宗教家が問題を起こすことはおかしいのではないか。
心の支えとして宗教と接するのはいいが、服従の対象と考えるのは危険かもしれない。
ここまでは白人系の情報を中心に触れた。
今度は東アジア系の内容になる。
気持ち悪い内容が含まれるため、無理に読む必要は無い。
人を食い物にするという表現は、相手を騙すという意味で使われることが多いだろうか。
今回扱う内容は例えではなく、そのままの意味だ。
気持ち悪い情報が含まれる。
他国の食生活に、どうこう言うつもりは無い。
考えるための材料として情報に触れる。
日本人と価値観を共有しないとは、どのような意味なのか。
その意味は、人を食い物にするという文章で説明出来る。
人を食い物にするという言葉を聞いて日本人なら相手を騙すと考えるだろうか。
東アジアの情報に触れた人は、そのままの意味だと思うだろう。
誰が発言したがで文章の意味が変わる。
漢文で、人の肉について習ったことがあるだろうか。
食材として扱われていたという内容だ。
紹介終わり。
他国の食生活にどうこう言うつもりはない。
東アジア内で発生することなら、東アジアの価値観で解決すればいい。
ただし、日本人が被害に遭う場合は別だ。
日本人が食い物にされる場合、情報を共有する必要がある。
気持ち悪い内容のため、早めに終わらせよう。
日本人差別を行う集団の思想を考えたとき、人間の価値観は変わらないと予測した。
それを今回のことでも適用する。
漢文の内容は過去の話。
人間の価値観が変わらないとしたら、今も似たようなことが行われているのではないか。
ここから先は、知らない人は読まない方がいいだろう。
気持ち悪さが一気に上昇する。
女性は避けた方がいいだろう。(妊婦も含む)
また、男性も避けた方がいいだろう。
確実に避けた方がいいのは、子供がいる家庭だ。
特に幼い子供がいる家庭は避けるべきだ。
子供も読むのを避けた方がいいだろう。
宣教師の話で過去だけでなく未来の話もした。
ならば、この話も同じような流れになるはずだ。
この先を予想出来るなら読まない方がいいだろう。
予想出来ない人も読まない方がいいだろう。
一旦、ここで終わりとする。
特に関係無い画像。
全く関係無い画像。
特に関係無い画像。
ここから文章の続き。
インターネットで様々な情報を探す人は触れたことがあるかもしれない。
東アジアの情報を直接調べると、報道関係者が伝える内容と違うことが分かる。
また、教科書との違いに驚くかもしれない。
ここからの情報は、確認出来ているものと、そうではないものがある。
まずはインターネット上で広まっている情報から。
人を食い物にするという文章は、人を騙す、利用するという意味が多い。
しかし、違う意味を持つことがある。
別の意味とは何か。
食材として扱うという意味だ。
気持ち悪い情報のため調べない方がいいだろう。
私も確認のため調べたが、やはり気持ち悪いものだった。
それが正しいものかは確認出来ないが、他の情報と組み合わせると説得力が出てくるだろう。
まだ成長していない何かが食材として扱われている。
気持ち悪いから細かいことには触れない。
それだけ。
次に進む。
こちらは日本国内の報道機関でも扱われた情報。(平成二十年代だったはず)
そのため、当時の情報に触れている人は覚えているかもしれない。
こちらも気持ち悪いから細かいことには触れない。
まだ成長していない何かが、別の何か(たしか薬だったはず)の材料として扱われている。
昔食材だったものが、今も食材や材料として扱われている可能性がある。
人間の価値観が変わらないとするならば、今までも、これからも日本人と価値観を共有しないだろう。
日本人差別を行う団体が人権を守れと主張する理由が分かるだろうか。
注意書きを忘れていた。
ここからは、更に頭のネジを飛ばす。
実は、上で触れた内容は控えめ。
気持ち悪くなったら読むのを中止してください。
頭がおかしい人が、変なことを言っているだけです。
愛や平和を守れと主張する団体を見て警戒するか。
人を襲うと思うか。
おそらく、警戒する人は少ないだろう。
何か問題が起きても、愛や平和、人権を大切にする団体ですと言えば相手側が黙るかもしれない。
仮に被害者に逃げられたとしても、集団で相手側が変なことを言っているだけだと言えば周りが黙るだろう。
人助けをする団体が人を運ぶ。
これを不思議に思う人はいないだろう。
なぜ、多くの人を運んでいるのか。
この人達の生活を助けるためですと言われたら納得するだろう。
活動記録もある、知名度もある。
ならば、そのまま信用するのではないか。
ところで、海外では人権を大切にしようと言うようだ。
成人だけでなく子供も連れ去られるなら外出時に警戒する人が多くなる。
特に子供の扱いが大変だろう。
もし、子供を食い物にする集団がいたら、大人はどのように対応するのか。
危険な場所には子供だけで行かせない。
子供を一人にさせるのは虐待として扱う。
このような予防策を考えるだろう。
人を食材として見ている集団がいたとする。
その集団が食材を獲得するにはどうすればいいか。
日本人なら悪い組織を作るという考えが浮かぶだろうか。
私も、このような考えを持った。
だが海外は違うようだ。
人権を守れと主張する団体を作る。
子供の人権を守る団体が、たくさんの子供をトラックで運んでも不思議ではない。
親がいない子供を保護する途中であると聞けば、そうなのだろうと思うだろう。
全ての団体が危険だと言いたいのではない。
実際に日本人差別を行う団体が人権を守れと主張することがあるため、自分や大切な人を守るための知識として覚えておいて欲しい。
知らない集団に言われても車には乗らないと思うが、子供や大人の人権を守る団体ですと言われたら信じてしまうかもしれない。
また、途中で食い物にされると気付き周りに助けを求めたとする。
そこで保護団体の人間が、保護されたばかりで混乱していると説明したとする。
助けを求められた人は、どちらの話を信用するだろうか。
人権を守れと主張する団体が、何かの被害に遭った国に行き悪さをしているという報道が出ている。
表向きは保護団体だが、実際は人を食い物にする集団であると批判されているところもある。
親がいない子供を保護していると言われても、本当に親がいないのか。
どこかから連れて来た子供ではないのか。
人を食材として見る集団が現在も存在しているとしたら、どのようなつながりを見せるのか。
食料が全く無い非常事態のときは人を食材として見る人もいるかもしれないが、通常時にそのような目で見る人はいるのだろうか。
もし、いるとしたら食材をどこで調達するのか。
日本人差別を行う集団が人権を守れと言いながら、人を食い物にしているとする。
人権を守れといいながら日本人を攻撃するのはなぜなのか。
世界一歴史が長い日本国こそが、人権を大事にしていると言えるのではないか。
不思議なことに人権を守れと主張する団体は、日本に対して攻撃的なことが多い。
これだけだと人種や宗教の違いで攻撃しているだけだと思ってしまう。
しかし、東アジアに対しては非常に友好的である。
なぜなのか。
人の命が軽い場所は、人権が大切にされていない場所である。
人権を大切にしろと言う団体が、なぜ人権を踏みにじる場所と親しくするのか。
これは人を食い物にするという意味を思い出すと分かる。
大好物を食べるとき、人は何を考えるか。
その好物を生産している地域を調べるだろう。
その好物が特定の場所でしか入手出来ない特別なものだとしたら。
人権を大事にするとは、人の命を守ること。
日本は世界一歴史が長い国である。これは人権を大事にする国でもあるという意味だ。
もし、大量の食材を求める場合、どのような国と仲良くするだろうか。
それを大量に輸出する場所か、それとも全く取れない国か。
これでつながる。
日本人差別を行う団体が人権を守れと言いながら日本を攻撃する理由。
それは、日本国が人権を大事にするから。
日本人差別を行う団体(欧米系)が東アジアと仲良くする理由が理解出来る。
収穫したいのが人間であるとき、人権は邪魔になる。
人を食い物にする集団が人を求めるとき、日本国ではなく東アジアを選択するのが良く分かる。
また、好物を提供しない日本を激しく攻撃する理由も理解出来る。
人間の価値観が変わらないのだとしたら、東アジア系だけでなく欧米等の集団もそうなのだろう。
東アジアとのつながりを非常に重視する欧米等の宗教家。
そして、東アジアを擁護し日本人を攻撃する日本国内の報道機関の思想が理解出来る。
さらに世界をつなげるとしたら、日本人の命を奪うことを目標とする集団は、人間が収穫出来る産地を支持するだろう。
日本人を奴隷として売り飛ばした宣教師、日本国の歴史を切り刻み何度も侵略しようとする東アジア、日本人の命を大量に奪った集団。
これらの団体が親密な関係だとしても全く驚かない。
報道関係者が日本人差別に反対するならば、原爆を落とした政党を支持しろとは言わないはずである。
報道関係者が日本人の人権を大事にするならば、被爆者や被災者を侮辱する東アジア系の芸能関係者を絶賛しないだろう。
報道関係者が、日本人の命や尊厳を奪っている相手を歓迎しろと繰り返し言う。
これは大切な人達の命を奪った殺人犯に感謝しろと言うようなもの。
日本人への悪意の塊だ。
報道関係者は日本人の命を大量に奪った人間を褒め、日本人の命を守ろうとする人間を攻撃する。
なぜなのか。
報道関係者は日本人の命を奪うことが正義であると考えているからだろう。
海外では子供の行方不明者が多いこと、日本よりも治安が悪いこと等を考えると、常に海外が優れていると主張する団体の考えには賛成出来ない。
日本国内でも東アジア系の連れ去りがあった。
たしか母親(本物)と手をつないでいた子供を誘拐しようしたはず。犯人は自称母親(偽物)だったような気がする。(犯人の細かい言い訳は忘れた)
祖父母の話や今現在入手出来る情報をまとめると、今も人を食べている集団がいたとしても不思議ではないと思う。
むしろ存在しないと主張する方が色々と不自然だ。
人を食い物にする集団が臓器を狙っていたとしても不思議ではない。
移植用に強制的に提供させることがあっても驚かない。
知識の補足
動物を知ると興味深いことが分かる。私が初めて見たのは鹿だっただろうか。(自信はない)
何かのメスが子を産む。その後、胎盤を食べる。
この知識が重要になる。メスが子を産んだ後、胎盤を食べることがある。(割合は不明)
私は栄養補給として記憶している。少し確認したが外敵から身を守るためという情報もある。
理由は、どちらでも良い。
メスの話で大事なことは、メスがメスの胎盤を食べること。
メスは自分の身体から出た胎盤を食べる。
この、自分の身体から出た物を食べるということが重要。
胎盤とは自分の物である。ここを確認したい。
食べるとまではいかなくても、それに近いことをする人もいるかもしれない。
例えば爪。自分の爪を噛む。
これは自分で自分の物を噛んでいる。
持ち主で考えるなら自分で自分の物を噛むのは、メスが自分の胎盤を食べるのと似たようなもの。
爪を噛むだけでなく、指しゃぶりもある。
自分で自分の物をどうにかするのは珍しくはないだろう。
次に、人を考える。
メスが子を産んだ後に胎盤を食べるなら、女性が胎盤を食べても不思議ではない。
発想としてはメスが胎盤を食べるのと同じ。
女性が自分の身体から出てきた胎盤を食べる。
たしかに、自分で自分の物を食べるという点で同じである。
人間の場合、栄養補給という意味が強くなるだろうか。
現在の日本で、胎盤が原因で外敵が集まることは無いだろう。
そう考えると胎盤を食べるのは栄養補給という意味が強くなるように思える。
受け取り方は人それぞれだと思うが、日本国内でも胎盤を食べる女性の情報を聞いたことがある。
これは個人の受け取り方に任せる。ここでは世界を理解するための知識として扱う。
私の予想だが、女性が自分の胎盤を食材として考えるのは少ないと思う。
胎盤を食べる風習がある地域等で行われるとは思うが、胎盤を食べるために出産を考える人はいないはず。
胎盤を食べる話で確認したいのは、あくまでも子供の存在が先にあること。
胎盤が主役ではないことを理解しておきたい。
次は、少々あれかもしれない。
葬儀の話だ。
人間には寿命がある。それが尽きると動かなくなる。
亡くなった人を、どのように見送るか。
私が最初に触れたのは、たしか海外の話だったはず。
故人(死者)の力を自分に取り込む、または故人と一体になるという意味で身体の一部を食べるという風習があったはず。
これは宗教的な意味が強いはず。食材として考えるのではなく、これからも大切な人と一緒にいるという意味が強いと記憶している。
体内に取り入れるのが何だったかは忘れた。
火葬の場合は骨になるが、海外の状況を考えると切り取った肉だろうか。
肉か骨かは覚えていないが、宗教的な意味で故人を自分の中に取り入れるということは聞いたことがある。
次は日本の話。
日本国内では火葬が中心だ。(昔からの風習でそうではない場所もある)
火葬の場合、故人は骨になる。
私は海外の情報に触れたことがあるため、骨を少しだけ体内に入れるという発想をする人がいても驚かない。
たしかインターネットに書き込まれた情報だったはず。
参列者の一人が故人の骨をかじったという話を見つけた。
それを見た人間は気持ち悪いと感じたようだ。
たしかに、見た側としては気分の良いものではない。
食べた理由を本人に聞いたわけではないが、おそらく親しみや愛情を示す意味での行為だったのであろうと予測している。
それが日本人であるのかは分からないが、宗教的な意味合いで少しだけ体内に取り入れるという風習があるのを知っていると驚かない。
ただ、実際に見ると少々驚くかもしれないが。
骨をかじる人を警戒するのは理解出来る。
それは、その人の価値観が自分とは異なるからである。
目撃者の書き込みでは、骨をかじることに驚いていることから、その人の周りでは骨をかじらないことが普通なのだろう。
記憶が曖昧で自信がないが、たしか骨をかじったのは少数派のような書き方だったはず。(たしか1人だけだったような気がする)
それを考えると、骨をかじった人間が、どのような理由でそれを行ったのか判断出来ない。
骨をかじる風習がある地域から来た人なのか、それとも全く別の意味で骨に興味があったのか。
その人が骨をかじった理由が分からない場合、相手と距離を取るのが一番安全かもしれない。
ここまで触れた内容は相手とのつながりがある場合の話。
それを理解出来るかどうかは別として、胎盤や故人の一部を体内に入れることは次に進むためである。
それを行うことが主役ではない。その行いの中で中心なのは子供や故人である。
決して、食べる行為ではない。
ここを理解して欲しい。
食べることの扱われ方で、その情報の質が判断出来る。
胎盤を食べることは、それが主役ではない。
また、故人の一部を体内に入れることは、それが主役になるものではない。
両方とも、人が主役である。食べる行為は脇役であることを忘れないで頂きたい。
人をどう見るか。
人の一部を体内に入れると聞くと感情が先に来てしまうが、感情で判断を誤らないようにしたい。
この情報を誤魔化そうとする人間は、必ず感情が乱れるような言い方をする。
知識や理性ではなく、感情で判断するように誘導するはずだ。
日本人差別を行う集団が広めようとする嘘は、感情に頼るものが非常に多い。
なぜならば、冷静に観察されると嘘だと気付かれるからだ。
それを検証されると嘘だと気付かれる。
だからこそ、確認したいという気持ちを持たせないように気分を害する情報を混ぜる。
それについて検証すること、過去の出来事を確認することを苦痛にしてしまえば嘘は守られる。
確認作業が苦痛であればあるほど、嘘は長期間存在することが出来る。
ゆえに、日本人差別を行う集団が発する情報は、日本人を痛め付けるものである。
激痛の中を突き進み続ける人はいるだろうか。
祖父母から日の丸を受け継いでいない者が、苦しみの中から希望を探し出せるだろうか。
おそらく、無理だろう。
祖父母の日の丸を受け継いでいない者が激痛の中を進むのは難しい。
仮に進めるとしたら、隠されていた祖父母の日の丸を自力で見付けた人か、頭のネジが飛んでいる人かのどちらかだろう。
私は祖父母から日の丸を受け継いだわけではない。頭がおかしいのは自覚しているが、ネジを飛ばしているわけではない。
私は激痛の中を進んではない。私が激痛の中を進まずに祖父母の日の丸を見つけられたのは知識のおかけだ。
私を守った考え方は、円の中心を求める方法と同じ。
日本人が習う知識だろう。
私は円の中心を求める方法で自分を守り、祖父母の日の丸を見付けた。
全てを理解するのが一番だが、それは難しい。
ならば、必要な場所から探す。
自分が迷子にならないように現在地を記録する。
次に、祖父母の昔話を確認する。
これだけで大丈夫だ。あとは何も考えずに進むだけ。これで私は上手くなった。
現在地とは自分の価値観。美学でも良い。ここを明確にすることが命綱になる。迷ったときに脱出出来るように自分の現在地を明確に意識する。(考えることを止めるだけでも良い)
次に、祖父母の昔話を探す。探し方は簡単だ。自分の価値観、美学を作ったのが祖父母(環境)だと考えるならば、祖父母もまた私と同じ結論に達するはずである。
つまり、私の美学の先に祖父母がいる。美学とは多くの日本人が美しいと感じることやもの。または、日本人が共有する価値観のこと。
周りは見えない。誰もいない。前に進むと祖父母の昔話が見付かる。
その昔話が私を強くする。祖父母の昔話が見付かるとは、私が進む先に祖父母の日の丸があるという意味だ。
円の中心を求めるとき、円周から線を伸ばす。円周とは現在の日本人がいる場所だ。
円周から線を作る。(垂直二等分線と呼ぶようだ)
線を2本作り、その線が交わるところが円の中心になる。
そこに祖父母の日の丸がある。一回、円の中心が分かれば過去や未来の日本人が立つ位置(円周)を予測出来る。
解き方が分かれば簡単だ。
実際に遊んでみるのもいいだろう。
例えば、自衛隊で考えるのもいい。
自衛隊の活動、東アジアを除いた世界からの反応を現在地として、過去を探るといいだろう。
そうすることで祖父母の日の丸、前線で戦った日の丸と周囲との関係が予測出来る。
私が過去に遊んだとき、自衛隊の価値観は一つ前の日の丸が生んだことが分かる。
黒く塗り潰されていない世界の日の丸を知るのに最適だろう。
なぜ、日の丸を黒く塗り潰そうとする集団がいるのかが分かるはずだ。
祖父母の日の丸を付けている者と、そうではない者。
日の丸の重さが違う。
日の丸とは、日本人差別との戦いの歴史である。
少し前の話。
白人には勝てないと言われていた時代があったようだ。
有色人種は白人には勝てないというのは本当か。
有色人種とは黄色人種や黒人等。
日本は世界一歴史が長い。
すでに結論が出ているが、ここで終わると話にならないため気にせず進む。
歴史の長さで日本人が勝っている。
このことから、白人に勝てないというのは間違いだ。
歴史ではなく戦で考えるとどうか。
白人は常に優秀で有色人種は勝てないのか。
白人に戦で勝てる。
細かい内容は覚えていないが、日本人が勝った。(日本人差別を行う集団は文句を言うだろう)
絶対に勝てないと言われると戦う気力も失う。
相手に勝負を挑むことすらしないだろう。
そのような人間が多い中、果敢に立ち向かう人を見て何を感じるか。
不可能だと言われていたことを可能にしたら。
同じ有色人種が、神話が間違いだと証明したら。
世界に影響力がある白人の国が集まる。
その中に白人ではない日本人がいたら。
白人は有色人種がいることが気に入らないだろう。有色人種は白人とやり合う日本人を見て希望を持つだろう。
白人と有色人種の戦いになったとき、日本人以外の有色人種はどう動くのか。
白人と戦うか、それとも白人の手先になるか。
東アジアは当然有色人種である。
日本人と同じ有色人種のチームに入りそうだが、白人側の手下になる。
白人の思想と東アジアの思想が似ているのだろう。
ここで血の話が出てくる。
白人が異国を支配するとき、支配者には白人の血が入っている者を選ぶことがあるらしい。
現地の人間だと白人側に敵対するかもしれないが、白人との間に出来た子供なら白人側になると考えたのだろう。
現地の子供として育てるのではなく、半分白人の血だから現地を支配出来る立場だと教育するかもしれない。
この考えは、何か問題が起きたときに直接白人が攻撃されないようにするための知恵らしい。
現地の人間に命令するのが半分白人の血が入る者ならば、怒りや憎しみは白人の血が入る者に行く。
現地の人間から見れば、同じ現地の血を持ちながら白人側に付いた裏切り者。
白人から見れば、おそらく使い捨てだろう。
もし、東アジア系が白人の手先として働いていたら、同じ有色人種からの印象が悪くなる。
有色人種として戦うのではなく、白人の手先として他者を服従させる方を選ぶ。
現地の人間から見れば東アジアの評価は非常に低いものになるだろう。
例えば、お店で立てこもり事件が発生したとする。
偶然買い物をしていた客が人質になる。
警察等が事件を解決し人質を開放する。
事件が解決するとは、犯人が人質を自由に出来ないということである。
人質を自由にすることが当たり前だと考える人間は、警察のせいで酷い目にあったと主張する。(刑務所に入るから)
立場によって事件解決への解釈が変わる。
日本人を攻撃する側は、犯人であることを隠して日本を攻撃する(特権が剥奪されて生活が苦しくなった等)ことがあるので注意。
舞台が変わって白人に人間扱いされない側。
同じ有色人種の日本人が戦っている。
その姿を見て応援するか。
太平洋の向こう側に住む有色人種が日本人を応援しても不思議ではない。
また、日本人と戦うことになったとき、同じ有色人種である日本人とは戦えないと考える者もいるだろう。
扱いが悪いとはいえ国のために日本人と戦う道を選択するのも正しいのだろう。
ただ、同じ有色人種として日本人を応援していた人達がいたことを忘れたらいけないと思う。
日本人が何かを成し遂げるとき、それを見た人に勇気を与える。
日本人から勇気をもらうのは日本人だけではないようだ。
祖父母は同じ有色人種に勇気を与えたようだ。
日本人が勇気を与え、相手からも与えられる。
日本人差別を行う集団は日本人だけが悪者になるように世界を黒く塗り潰す。
日本人が様々な困難に直面しているように、他の有色人種も苦しみに耐えていたようだ。
国境や時代を超えて勇気を与える人がいる。
もし、人間の優秀さが変わらないのだとしたら、今の日本人も世界に勇気を与えられるだろう。
人間の価値観が変わらないのだとしたら、祖父母がしたように私達も世界を変えることが出来るだろう。
昔、祖父母が人種差別を撤廃するように白人達に主張したそうだ。
否決されたが、日本人が白人とやりあった時代。
優秀さが変わらないならば、海外に期待するだけ無駄だろう。
人間の価値観が変わるとすれば、日本がお手本になるといい。
日本国は歴史が長過ぎて、全てを読むのが難しい。
その分、祖父母の想い出話と何度も出会えるのが嬉しい。
日本人差別を行う集団の思想を理解したうえで、今後の付き合いを考えた方がいい。
私は海外は優れていないと思っている。
たしかに素晴らしい部分はあるが、それは日本人を満足させるものではないだろう。
仮に日本人以外の人間が優れているとしたら、もう少し祖父母は穏やかに過ごせたと思う。
世界が優れた人間で溢れているというならば、日本人が苦労することもないだろう。
一度相手の思想を使い世界を覗くといい。
海外の思想では滅びしか見えない。
最後に、海外の一番大きな弱点を指摘しておこう。
世界の常識は、日本人の存在を想定していない。
日本人差別を行う団体は日本人差別を行うがゆえに日本人の優秀さに気付けない。
優秀な選手は危険な場面を作らない。
激しいぶつかり合いで解決するのも素晴らしいが、衝突する前に解決する強さもある。
日本人は自己主張しないのか。
違う、すでに終わらせているのだ。
一つ面白い問題を出したい。
賢い人間は短時間で正解するとする。
小学生が1時間以上悩んでも解けない問題を、後から来た大人が簡単に正解することはあるのか。
このようなことがあるのだろうか。
私はあると思う。
優れた人間は後から始めても先に始めた人間を追い抜く。
これが正しいならば、短期間で急成長する人間は優秀なのだろう。
日本サッカーの評価で、短期間で急成長しているというものがある。(他の部分でも似たような評価あり)
これはどのような意味か。
日本人が優秀だから短期間で結果を出せているのか。
それとも、実は過去に解いたことがある問題だったのか。
世界一歴史が長い日本国。
日本人ですら全てを把握するのが難しい。
日本人ですら出来ないことを若い国(人間でいえば70歳前後)が出来るのか。
日本人は、もともと似たようなものを知っていたと考える方が自然ではないか。
または、日本人の能力が全体的に高いのではないか。
本当に日本人は急成長しているのか。
もしかしたら、過去に習ったことを一時的に忘れていただけではないか。
過去の記憶やコツを思い出すのに少し時間がかかっているだけではないか。
本当に海外の方が優れているのか。
私は日本人の方が上だと思う。
サッカーだけでなく、その他のことでも。
サッカーはサッカー選手として行うものではなく、その国の知性を競うものではないか。
私は海外にあるものは、だいたい日本国内にあると思っている。
正確に言うならば、海外の人間が思い付くようなことは、すでに祖父母が実行しているのではないか。
世界のルールとは、初めて何かを成し遂げた人が名を残すのではなく、白人が初めて認めた人間の名を残すものだと思う。
内容は忘れたが、日本人が先に発見していることもあるようだ。
白人や海外が優れていると主張するわりには、日本人の存在に気付けないのはおかしいのではないか。
賢いの定義が、日本と海外では違うのではないか。
自分は周りより賢いと主張する人を見つけたことがある。
その人の話を聞くと、優れている自分を特別扱いしない日本は遅れているという内容。
海外は優れているが日本は遅れていると言っていた。
この話を聞いたとき、賢いと主張するわりには確認作業が少ないなと感じた。
似たようなことを主張する人達が存在する。その人達に共通するのが海外は優れているが日本は駄目だという内容。
本当だろうか。私はその人達とは全く逆の印象を持った。
何か1つでも優れているものがあれば他の教科は無視して上の授業を受けさせるべきだという内容。
発想としては面白いと思う。1つでも優れているものがあれば、優れている教科を基準に授業内容を決めるべきだという考えだろうか。
1番良い成績を基準にして他の教科の授業内容を決めるのは生徒に優しいのか。
この方針は優しいとは思えない。また、優れた教育だとも思わない。(この考えを押し付けるつもりは無い。違う考えを持つことを否定しない)
続きを聞いていると興味深いことを話す。
日本では、1つ出来ても他の教科が出来ないと駄目だと言われる。海外は1つ出来れば上に行けるが、日本の場合は他の教科も伸ばせと言われる。
これに触れた後、だから日本は駄目だと話していた。海外は素晴らしいが日本は駄目だと強調していたが私は賛成出来ない。
教育の仕方は、その国に合わせた方がいい。それは否定しない。
私が違うと思うのは、海外が素晴らしく日本が駄目だという意見。
これは間違いではないのか。日本が素晴らしく海外が駄目なのではないかと思う。
その理由を説明する。(海外の教育方針を完全に理解しているわけではない。話から得られる情報で想像した)
1つ出来れば良い世界と、1つ出来ても特別扱いされない世界。どちらが優れているのか。
私は1つ出来ても特別扱いされない世界の方が優れていると思う。
説明がしやすいように架空の学校を作る。そこに通う生徒は全員成績が悪く全ての教科で0点を取るとする。
どの生徒も全教科0点しか取れない。そこに算数で100点を取れる生徒が転校してきた。
この生徒は凄い。今までは0点しか取れない生徒しかいなかった。そのような学校に100点を取る生徒が存在する。
他の教科は0点だが算数だけは100点の生徒を大切に扱う。
もう一つ架空の学校を作る。そこに通う生徒は全員成績が良いものとする。全ての教科で90点を取るとする。
全生徒が全ての教科で90点を取る学校に、算数で100点を取る生徒が転校してくる。
この生徒は凄いのか。算数は100点だが他の教科は0点である。
この生徒に対して教師は何と言うのか。
おそらく、他の教科も点数を伸ばそうと言うだろう。
全部出来ない人から見れば1つでも出来れば凄いが、全教科ある程度出来る人から見れば1つだけ出来ても驚かないだろう。
この違いではないか。
海外では1つ出来れば上に行けるとは、出来ることが1つでもあれば凄いという意味ではないか。
日本では1つ出来ても他の教科を頑張れと言われるのなら、出来ることが1つあるのは珍しくないのだろう。
私個人の意見だが、上のように思う。
1つも出来ない人が多いから1つ出来るだけで凄い。
複数出来る人が多いから、1つ出来るぐらいでは驚かない。
この違いではないか。凄いの基準が日本と海外では違うのだと思う。
凄いと言われる基準が日本の方が高い可能性を考えていないのではないか。
以上が、自分は賢いと主張する人の話を聞いて感じたこと。
日本が優れている可能性を全く考えていない気がする。
偉大な選手が日本に敬意を払うのは、日本人と価値観を共有するから。
日本人選手の後ろにある日の丸が見えるのでしょう。
他者に敬意を払える人は、その人が持つ歴史を自然と感じ取るのでしょう。
偉大な選手だけでなく、サッカー好きも日本人選手から日の丸を感じると思います。
サッカーは選手を見るのではなく、選手を通してその国の美学を感じ取るものだと思います。
だからこそ、様々な国と地域で愛されているのでしょう。
日本人と価値観を共有しているか、一番大事なことを確認しておきます。
選手だけでなく保護者にも確認して欲しいこと。
どうすれば、お肉が美味しくなるか。(牛肉や豚肉、鶏肉等)
1、ストレスを取り除き、限りなく自然環境に近い状態で育てると美味しくなる。
2、激痛を与え続け、生きていることを後悔させるような絶望で包み込むと美味しくなる。
日本人の価値観に合うものはどちらでしょうか。
これでサッカーと政治、祖父母の記憶が合流出来たはずです。
黒く塗り潰されることの無い世界で、価値観を共有する人達と仲良くしたいですね。
昔殴り合った白人達や、日本人に協力してくれた人達とのお付き合いが始まるといいですね。
敬意を理解出来る人と共に歩みたい。
切り刻まれていた祖父母の日の丸が、今を生きる日本人とつながるはずです。
祖父母の日の丸が子や孫と再会出来たはず。
「再開」を「再会」に修正。(2021年7月20日)
異国の地で歓迎されたとき、海外の人の優しさに触れたと思いますよね。
海外は優れていると思うかもしれません。
でも、こう言い換えると印象が変わりませんか。
親友の孫が遊びに来た。
気合を入れて歓迎しませんか。
もしかすると、すでに祖父母の友人達に会っているのかもしれませんよ。
サッカーおでんで出てくる選手の国が、日本に軍艦を譲ってくれたとは知りませんでした。
日本国大使館によると日本に有償で譲渡してくれたとのこと。(伝説の武器を手に入れる旅にある「赤い糸で離れない、運命ドリブル」の持ち主の国)
祖父母について、まだまだ知らないことが多いですね。(探してみるのも面白いでしょう)
祖父母の日の丸の近くには、サッカーでも見たことのある多くの旗がいるでしょう。
祖父母や祖父母の友人達。
肩を並べにいきませんか。
命を奪い合う時代から、ボールを奪い合う世界へ。
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2021年7月20日修正。最新版
2021年1月2日公開。追加組
AMPに対応したサイトでは、感想を送信出来ません。
送信の仕方が分からないため、こちらでは送信機能を停止しています。
感想の送信を希望する人は「サッカーおでん(通常版)」をご利用ください。
移動先のサイトも、ここのサイトも内容は同じです。説明している内容は全く同じなので安心してください。
装飾が少しだけ違います。(サッカーおでんのおすすめ、日の丸サッカーおでんのおすすめのところに画像が有るか無いか程度の違い)
表示速度はこちらの方が良いかもしれません。通常版で感想を送信後、ここに戻れるように移動先を追加してあります。
ここに戻る予定の人は、「サッカーおでん(通常版)」の「サッカーおでん(AMP版)」へ移動をご利用ください。
「ここに戻る移動先」は「感想を送信する」にあります。感想を送信した後に表示されるページの「感想を送信したページに戻る」を押せば、ここに戻れます。
「サッカーおでん(通常版)」にある「感想を送信する」全てに、ここに戻る移動先があります。 戻り方が分からなくなったときは、「サッカーおでん(通常版)」で「感想を送信する」という場所を探すといいです。
「感想を送信する」は、説明が終わった後にあります。
おかえりなさい。
ここは「サッカーおでん(AMP版)」です。
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自己紹介
はじめまして、「サッカーおでん」の竹串です。日本がW杯最多優勝国になるために、「サッカーおでん」を作りました。日本人の高い身体能力を活かす技術を習得しませんか。
「サッカーおでん」はシュート技術を専門に扱うサイト。
独り言
日本代表には、いつも笑っていて欲しい。
サッカーおでんは、日本代表と日本人選手を応援しています。
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連絡
画像が表示されない等、不具合があればコメントやお問い合わせ、ブログ等のコメントでご連絡ください。
ちょっとお知らせ
装飾を修正。2024年2月6日。
引っ越しに関する文章を消した。2023年5月15日。
サーバー引っ越し。影響は無いはず。2023年3月12日。
2022年8月30日。サッカーおでんのゲームを追加
最終更新
2024年2月6日。
キックの悩み。
ボール関係の悩み。
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